I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


Entries.

2015/07/08 / 00:13

先日、また

「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」

を見に行ってきた。4回目である。

11221365_672048706233987_4076824778214239268_n_huge.jpg

これまでロードショー期間中に複数回見に行った作品は、ジム・ジャームッシュ監督、ジョニー・デップ主演「デッドマン」が2回という程度だったが「パシフィック・リム」の7回、そして「マッド・マックス」の4回というのは自分の中では完全に常軌を逸しているレベルである。これも一つの「引き寄せ」なのだろうが、これだけ繰り返して見に行きたいと思わせるのは、やはり見る度に彼是考えさせられる、という要素が一番大きいのではないだろうか。

というわけでその「彼是考えていたこと」をダラダラと羅列。

今回の「マッド・マックス」改めて考えてみるとR15指定で壮絶なアクションが最初から最後までぶっ続けなのだけど、驚いたことに人が死ぬ場面でも頭や手足が飛び散ったり激しく流血する場面が無い。おまけに台詞の中に所謂「4文字言葉」が全然使われていないのは驚嘆するしかない。

これは前回も書いたが、自分はこの砂嵐の場面が大好きである。大破して炎に包まれ、嵐に巻き上げられていく車の破片や人間が流星であるかの如く美しく撮られているのは素晴らしい。こんな経験してしまったらNUXでなくとも「此処が俺の死に場所だ!」と思うだろう。



今回のマックスはメル・ギブソンのマックスよりも内面的にはかなり拗れていると思う。

例えばハードボイルドの世界で、80年代ごろまでは探偵といえば所謂「タフガイ」というイメージだったのが90年代以降は心に鬱屈するものを抱えた主人公が主流になってきたという変化のようなものがトム・ハーディのマックスにも投影されてるのかな、と思ったり。 それが「威嚇したりするときを除き、マックスが人と話す際に目を合わせない」という部分に繋がると思う。

台詞自体、余分なものが全て削ぎ落とされてるのは単に無口だとか必要最小限の事しか「言わない」のではなくコミニュケーション不全で「言えない」って部分も大きいのではないだろうか。それ故「あ、あ」等の言葉にならない「音」がとても多くなってしまうのでは?

mad-max-fury-road-poster-art-collection-from-poster-posse.jpg

そして、本来「あっしには関わりのないことで・・・」という紋次郎的アティテュードであるマックスが、一旦は袂を分かったフュリオサたちを追尾して「砦に戻ろう!」と言い、自らウォー・リッグを運転して先陣を切って敵に斬り込み、砦に到着した後は其処に留まるでもなくまた一人、去っていく意味とは何だろう・・と考えてみる。

それはこの映画のテーマでもあると自分が考えている「それぞれの救済 "Redemption"」ではいだろうか。

マックスは「お前のせいで死んだ!」「助けてくれると言ったのに!」と意識を責め続ける「これまで助けられなかった/見殺しにしてきた人達(亡霊)」と「生者からも使者からも逃げ続けている」と独白する己の救済として。

フュリオサは、失われてしまった故郷(Home)を取り戻すことによる己の救済として。

そしてNUXにとっては、これまで洗脳状態での「ジョーのために華々しく死ぬ」という盲目的な死への憧憬から、「誰かを助けるために自分の身を犠牲にする」という自意識を持った上での己の救済として。

それぞれの結果は勝利であったり、放浪の旅路であったり、或いは死であっても、それぞれの主人公が自分なりの「けじめ」をつけて終わっている・・・という事なんだろう。だからこそ、誰に感情移入してみていても、心が動かされるのだと思う。尤も、リクタスとかジョー頑張れ!と思って見てる客はいないだろうが。

そしてラストシーン、砦に辿りついたマックスがフュリオサに何も告げず去っていくシーン。お互いかなり距離はある筈なのに目線だけで理解して頷いただけで無言で去っていくあの場面は感動する!またマックスの姿がすぐ群衆に紛れ見えなくなってしまうのも良い。やはり、あそこで一緒に暮らしました、めでたしめでたし!ではダメなのだ。フュリオサは安住の地を求めていた人物だし、それに反してマックスは定住地を持たない放浪者である。あの荒廃しきった世界で別れるというのは現代以上に再びめぐり合う可能性は低いわけで、其処から生まれるドラマ性、カタルシスってのは大きいと思う。

とまぁ、こんな事を彼是と考えながら余韻に浸ってるわけだが、「字幕版3D/4D」ってのは無いのだろうか。「パシフィック・リム」「コマンドー」のように吹き替え版が字幕版と同じレベルで「傑作」として存在している作品は滅多にないわけで、少なくとも本作に限って、マックスの吹き替えをエグザイルなんぞがやっている時点で「絶対に見たくない」と思わせてくれるのはある意味、凄い。

スポンサーサイト

映画 / TRACKBACK(0) / COMMENT(0) / PAGETOP

ハレの日、鰻の日! / ホーム / Super Bad な Soul Power


コメント:


コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する 


トラックバック:

ホーム