I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


Entries.

2014/07/28 / 22:39

土曜の夜から酷い喘息の発作で寝込んでいる。今日は久しぶりに仕事を休んで病院に行き、薬をもらい午後はローズマリー・サトクリフのケルト英雄譚をぱらぱらと読みながらうつらうつらしていた。

夜になっていくらか体調が戻ったので先週のことなどを少々。

10557228_686505704763619_5043468070243949112_n.jpg

現在、世田谷文学館で開催中の 「SFの国~日本SF展」  (詳細はクリック)に行ってきた。京王線に載るのは何年振りだろう・・・と思いつつ芦花公園駅で下車して会場へ。

来たのはいいが・・・考えてみると自分は日本のSFというのを殆ど読んだことがない。

今回の展示は、星新一、筒井康隆、小松左京、真鍋博の各作家に纏わる生原稿、資料、雑誌等々といった内容なのだが、小松左京の作品で読んだのは「宇宙漂流」「青い宇宙の冒険」の2作だけ。筒井作品については中学生時代にかなり読んだが自分の中では風刺/ナンセンス/ギャグ小説という括りであって「SF作家」ではない。その証拠に代表作であろう「七瀬ふたたび」「時をかける少女」も読んでいない。前者についてはかつてNHKでドラマ化されたときに見て「多岐川裕美、エロいなぁ」と触れてはいけない大人の女の色香に触れたようなドキドキ感ばかりが残り、内容は全く覚えていないという結果となった。星新一作品にしても筒井作品と同様小学生~中学生のころにかなり読んだが筒井のような毒がなかったせいか、話は全く覚えていないという体たらく。豊田有恒も「地球の汚名」しか読んでない・・・こんな俺がこの展示を見て、どんな感想を抱けというのか・・・と思いつつ展示されている昔のSFマガジンを見やりつつ「あ~『キャプテン・フューチャー特集号』『ノースウェスト・スミス特集号』欲しいなぁ~~!!」と・・・要するに自分の場合、日本の作家よりも外国作家の影響の方が遥かに強かったわけだ、SF(とミステリ)に関しては。

会場には手塚治虫の貴重な生原稿も展示してあるのだが、考えてみると手塚作品も「アトム」1冊と「火の鳥」1冊くらいしかまともに読んだことがない。一体お前は何が見たくてこの展示会場にやって来たんだ、という罵声が飛んできそうな雰囲気である。

そんなこんなで会場を見ていると足が止まった作品。真鍋博のイラスト。そう!自分にとって「SFの入口=真鍋博のイラスト」であったのだ。初めての出会いは小学5年生の時、ガーンズバックのジュヴナイル「27世紀の発明王」だった。そのシンプルな線が描き出す「夢と希望に満ちた素晴らしい未来絵図」に惹かれた。図書館に行って真鍋イラストの本をパラパラめくるようになった。そして中学に入り、E.E.スミス「レンズマン」シリーズと出会った。これが決定打だった。ハッキリ言って今再版されている生頼範義による滅茶苦茶カッコ良い「レンズマン」の表紙よりも自分は真鍋絵の方が好きである。

そして中学の時、真鍋博と同等、いやそれを上回るインパクトを与えてくれた画家、武部本一郎画伯によるバローズ各作品「火星」「金星」「ペルシダー」「ターザン」、そしてリン・カーター「ゾンガー」、ハワード「コナン」(でもコナンに関しては旧創元版の柳柊二イラストの方が雰囲気を捉えてるように思う)によってズルズルと冒険SF/スペースオペラの道に引きずり込まれ、ハードSFがダメな人間に成り果ててしまうのであった。

そう考えると、自分にとってのSFとは文章ではなく「絵」だったのだな、と改めて思う。現在のようにSFといってもCGやゲームでイメージが簡単に具現化できる以前のSFというのはまさに「空想」科学小説だった。どんな形をしてるんだろう、どんな武器なんだろう、どんな生き物なんだろう・・・それ故に、挿画によるイメージの刷り込みも大きかった。考えてみると最近、SFに限らず小説から挿絵や口絵が消えてしまった。映画「ジョン・カーター」公開に合わせて再発された「火星のプリンセス」には絵の類が一切ない。自分のような年寄りからすれば、武部画伯のデジャー・ソリスが描かれていない火星など火星ではない、という感覚なのだが、やはり今の世代の人たちは違うのかもしれない。

とまぁそんなことを彼是考えつつ会場を後にした。これから(日本の)SFはどんな方向に進むのだろうね。

スポンサーサイト

書籍 / TRACKBACK(0) / COMMENT(0) / PAGETOP

貧困と性欲と社会性 / ホーム / そろそろこのブログも・・・


コメント:


コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する 


トラックバック:

ホーム