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ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2014/05/06 / 04:13

唐突な話で申し訳ないが「吉原」という言葉を聞いて具体的なイメージが出来る人は21世紀の現代でどのくらい居るのだろう。

例えばA4の神を1枚渡されて、「この紙に貴方が知っている『吉原』について、何でもいいから書きなさい」という御題を頂戴した場合、特に30歳以下の若年層では何も書けない人が大半なのではないだろうか、と思う。書けたとしても「時代劇に出てくる場所」「ソープ街」程度ではなかろうか。昨今、吉原のソープに行く若者ってどのくらい居るのだろう・・・と考える。

何故そんなことを考えていたかというと、先日読了した

yosiwaraha.jpg
福田利子「吉原はこんなところでございました~廓の女たちの昭和史」

の影響である。

以前にも書いたように、自分は「売春」という行為を否定していない。 勿論、「大賛成!もっとやれ!」とも言わない。人類が文明というモノを持って何万年が経過するのか正確な事は知らないが、一つだけ確かなのは、人類が滅びるその日まで売春は無くならない、という事だ。


特に日本の場合、先にリンクを張った「売笑三千年史」という民俗学の本にある通り維新後、特に戦後入ってきた欧米を中心とする諸外国おけるキリスト教(一神教)的倫理観や左翼的人権偏重思想で簡単に断罪出来ない歴史、文化、民俗的背景があるわけで、それらを全く知らずして「人権がどーの」というのは片手落ちに他ならないと思う。

大切なのは、売春に限らず社会には必ず法、若しくは理想論では定義が困難な「マージナルな領域」が存在することを素直に認める、という事ではないだろうか。

というわけで本書。著者は大正から昭和の赤線廃止に至る時期を吉原の引手茶屋「松葉屋」の主であり、消え行く日本の遊廓文化を内側から語った貴重な記録である。遊廓の成り立ちから遊ぶための仕組み・・・現代の風俗でいうところの「システム」、遊びの内容、廓の生活、行事等が細かく記されている。古典落語の廓話に出てくる「花魁」「中引け」「大引け」「吉原大門」「鉄漿溝」「回し部屋」といった言葉から幇間(太鼓持ち)や芸者衆(芸妓)と花魁(娼妓)の違いとその関わり、加えて最も大きな要素になるであろう社会における遊廓の位置付け、その関係性を読み解けば、遊廓という場所がただ単に「ヤルためだけの場所」ではなかった事実が見えてくるはずだ。

しかし注意しなくてはならないのは本書は飽くまでも「経営する側」つまり花魁を「使う側」から書かれた本だという事である。当然、女郎哀史的な部分は割愛されているので、そういう話が読みたい方は別の書物を紐解いて本書との温度差を体感してみるのも必要かと思う。

その上で時代劇(時代小説)や古典落語に触れてみれば一層、面白味が増すに違いない。尤も、TVをつけても時代劇も落語もほとんどやってない御時勢において、どれだけの人が遊廓なんてモノに興味を持つかは甚だ疑問ではあるのだが。

取り敢えず、もしタイムマシンがあったなら1度は登楼してみたいですよ、ワタクシも。

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