I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


Entries.

2014/05/01 / 00:00

「浅草リトルシアター」で上演されていた、

風間寛治さん演出・主演の舞台「ぱぴよん」

の楽日に御邪魔してきた。

昨夜に引き続いて観るのは2回目なのだが前回とは全く違う観点で観ることができ、且つ考えさせられた。

登場人物は4人。
・穴を掘り続ける男
・男が掘った穴を埋め続ける女
・蛾の化身(女)
・蝶の化身(女)

或る処に、穴を掘り続ける仕事をしている1人の男が居る。其処へ、1人の女が現れる。女は、男が掘った穴を埋め続けるのが仕事だといい、男に対し「貴方が掘らないと私が埋められないから早く掘って欲しい」旨を申し向ける。更に女は、男に「何か面白い話をしてほしい。貴方は私に話すことがある筈だ。」と言い、男は自分の身に起きた奇妙な体験を話し始める。

その奇妙な体験とは・・・ある夜、男が仕事を終えて部屋に戻ってくると開けた窓から1匹の蛾が飛び込んでくる。蛾は大層美しい姿をしていた。やがて部屋に居ついた蛾と男は一緒に暮らし始める。月日が流れ男と蛾の生活が倦怠期になった頃、今度は窓から美しい1羽の蝶が舞い込んできた。そして男と蛾と蝶の三角関係が始まるのだが・・・という話。

話の肝は以下の点

1 穴を掘り続ける、そしてその穴を埋め続ける、という行為の不条理性
2 蛾と蝶は、見てくれは違うが本質においては同一の生き物であること
  (故に蝶も蛾もフランス語で「パピヨン」と呼ばれる)
3 男に蝶の姿は見えるが、蛾から蝶の姿は見えないこと
4 蛾は人語を解し男と会話できるが、蝶は一切言葉を発しないこと
5 蛾と男の関係性について、男が蛾に嘘をついた時、蛾は死んでしまうこと

登場人物である「穴を掘り続ける男」「穴を埋め続ける女」「蛾の化身」「蝶の化身」が何のメタファーなのか・・・勿論、額面通りに受け止めても良いのだけど・・・を考え始めると時間はあっという間に過ぎてしまう。例えばオーウェルの「動物農場」は一般にソ連共産主義体制を痛烈に皮肉ったものだ、と言われるが、状況によっていろいろな読み替えが出来るのと同様、その時に自分が置かれている生活環境や心理状態によって解釈は毎回異なるのではないか、と思う。

話の中で、美しい蝶に心を奪われた男は、蝶との赫赫云々な浮気内容を「嘘はつかない」という約束に基づいて逐一、蛾に話して聞かせる。当然、そんな事を聞かされた蛾の心は次第に傷ついていく。しかし男は蛾が「死ぬほど苦しむ」事は分かっていても「嘘をついて実際に蛾が死んでしまうのとは違う」と詭弁を弄し、蝶との関係を続ける。

人ならざる者が人の心を持つことで、人間として生きるのが果たして幸せなのか・・・という問いは童話「ピノキオ」そして石森章太郎「人造人間キカイダー」に於いてもなされていた。古今亭志ん生師匠の「元犬」も犬が人間になる話を面白おかしく語ったものだ。答は簡単に出せない。心を持った者が置かれた環境、つまり後天的影響によって幸にも不幸にも転じてしまうからだ。此処で賢明な人なら考えるだろう。「そりゃ蝶をすぐに追い出さなかった男が悪いだろ!」と。しかしもし同じ状況に置かれた場合、美しい蝶を追いだして、蛾との平凡な日常を選択できると心に誓って言える男がどれだけいるのだろう、と思う。そんなに人間が賢い生き物であるなら、世の中こんなに捻じれちゃいない。

そして男に対して発せられる「アンタにとって、見えない蝶が現実なのかね、それとも見えている私が現実なのかね」、「蝶は貴方が置いて来たものなのですか。それともこれから求めるものなんですか。」という問いかけが意味するものは何だろう。冒頭のメタファではないが、これを単純に「蝶は一時的な名声や富といった物理的幸福の、そして蛾は精神的幸福の隠喩である」とか「果たせなかった夢と現実の象徴である」と言ってしまうのは簡単だ。しかし、それだけで終わらせてしまうのはいけないような「何か」・・・心に棘が刺さったようになるこの感覚は何なのだ、と思う。

クライマックスの場面、結局、花から花へ移り行く蝶は男のもとを去り、戻って来た蛾は命脈尽きて男の腕の中で息絶える。此処で「二兎を追うもの一兎を得ず」と思うもよし「本当に大切なものは失って初めてわかる」と思うもよし。しかし自分はそんな教条的な事よりも舞台の熱演に心奪われて刹那さと悲しさがドッと押し寄せてしまった。

そしてこの作品で一番興味深かったのが「穴を埋め続ける女」の存在だった。カミュ「シーシュポスの神話」における不条理を体現する存在でありながら、「私は、何も持っていないんです」と語り、持っいないが故に男の心を浄化し、不条理であった筈の行為に条理を見い出させてしまう帰結には唸ってしまった。

つまりこの「埋める女」がやって来たのは偶然ではなく必然だったのではないか。だとすると、どんな意志の介在がこの女を男のもとに送り込んだのだろう。ひょっとしたら蛾も蝶も「神のような何か」の姿だったのではないだろうか・・・等々、帰り道、そして飯を食いながら色々と考え込んでしまった。

そしてこの舞台を素晴らしくしてくれたのは演出・主演の風間さんを始めとして、若林美保さん、朱魅(卯月朱美)さん、広田さくらさん、皆さんの熱演で、特に若林美保さんのキレのいいセリフ回しには痺れてしまった。「あんた、最後の最後で嘘ついたねぇ」と言って事切れる場面は今夜見たら絶対に泣いてしまいそうだったので半眼になって見ていた。なんとか涙が落ちるのは止めましたが鼻水は出た・・・

観終わって思ったのが「あともう1回、見ておけばよかった」という事。また将来、再演されたらとても嬉しいのだけど。しかし上演時間70分の間にこれだけのことを考えさせられた作品というのはこれまで稀である。ただ「面白かった!」で終わる作品も大好きだが、やはり何某かの余韻が続く作品は必ず心に残る。

あと昨夜、今夜と物販で朱魅(卯月朱美)さんにサインをしていただきまして・・・とても良い気持ちで帰途に就くことが出来た。以前の「艶絵巻」公演で三回、舞台を見せて頂き「綺麗な方だなぁ」と思っていたので感謝感激雨霰。やはり音楽のライヴ同様、生で見る舞台も良いなぁ、と改めて思った次第。

素晴らしい舞台を、どうもありがとうございました。

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