I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2013/05/27 / 00:52

近頃、何かにつけて「サムライ・ジャパン」を始めとして「サムライ○○」と言いたがる風潮が大嫌いだ。

基本的に「江戸情緒がどーの、東京の老舗がこーの」と言ってる人は地方出身者なのと同様、自称「サムライ」の祖先は大半がサムライでもなんでもない水飲み百姓か四つじゃないのかい・・・と思う。かく言う自分にしたところで祖先は花柳界関係で、某政治家を生んだ家系の妾腹筋なのだから間違ってもサムライなんぞではない。しかし考えてみればそれらの表記はあくまでも「サムライ」であって「侍」でないからいいのか(笑)

では一体「侍」とは「武士道」とは、そして「男らしさ」「男道」って何だろう・・・と思った方はこの本を読んでみるのも一興だろう。

そんなわけで

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氏家幹人「サムライとヤクザ 『男』の来た道」

読了。

大変興味深く、そして面白い作品だった。

話の粗筋は・・・

戦国の世から徳川の泰平の世への転換に伴って、戦士の作法であった「男道」は色あせ、役人の心得である「武士道」へと様変わりする。江戸前期に鳴らした「かぶき者」が幕府から弾圧されると、「男」を継承したのは江戸の藩邸が雇い入れた駕篭かきなど町の男達だった。武士が武威を彼ら荒くれ男に肩代わりさせた結果…。武士道神話、任侠神話を豊富な史料をもって検証する「男」の江戸時代史・・・

というもの。

元々は「戦士」であった武士が平和な世の中が続いたことにより戦う場を奪われ、武芸を忘れ、次第に非武装化されていく過程、そして中世から連綿と続く「権力に対する反抗のアイコン」であったバサラ、悪党、傾奇者といった集団が幕府の弾圧により姿を消すに至り、「戦士」としての武士というある意味「異端」であった存在は次第に社会に同化させられていく。洋の東西は違えど、ヴァイキングで有名な北方民族がキリスト教を受け入れることでヴァイキングしての活動が次第に沈静化し、住み着いた世界各地で次第にそのコミュニティに同化していくのに似ている。

その後、「戦士」或いは「男気」としての一面は火消し、駕籠かき(陸尺)、渡り中元等、市井の荒くれ者たちによって受け継がれ、其処から所謂「任侠道」が生まれ、明治以降、ヤクザに繋がっていくという流れは非常に面白い。自分は別にヤクザ者を美化するつもりは全く無いが、日本人の多くがヤクザ者に対して表面上は不快感を示すものの内心では決して撲滅しようと思っていないのは未だ「任侠」という言葉に対する幻想、憧憬があるからなのだろう。

では何故「男気」「男道」「任侠」という概念、生き方が生まれたのか・・・これは社会が不安定だからという理由に他ならない。戦争(いくさ)、劣悪な治安状況、稚拙な医療技術等々、昔は人生短かった。だからこそ「自分の思うままに生きよう」と思う。これが平均寿命が80歳を超え、金だの仕事だの社会的地位だの家庭だのと守るべきものが増えてくれば「いざとなったら腹切って死んでしまえばいい」という価値観は生まれ得ない。その不安定感が常軌を逸した行動や信念・美学を生む。

例えば実際の「戦士度数」がヤクザ者よりも遥かに高い警察、消防、自衛隊というのは職業的使命感・倫理観に動かされている人達であり、「公務員」である。そこが「社会の底辺でヤクザにしかなれなかった」人達と大きく袂を分かつポイントでもあるのだろう。

以前にも書いたが、警察が「暴力団撲滅」を掲げながら実際は「外国人マフィアや小僧のギャングを抜鉤させるより、暴力団に盛り場を仕切らせておいた方が安全だ」と考えている人が少なからず居るというのは、やはり「奴等は任侠の人間なので筋を通せば分かってくれる」という考えがあるからに相違ない。

戦後、繁華街で乱暴狼藉を働く台湾人や朝鮮人を、警察とGHQが黙認する形でヤクザ者に襲撃させるという話は、江戸末期の討幕戦において徳川方にも官軍側にも武士ではない、全身刺青の荒くれ者たちが多数含まれていたという事実とも重なってくる。本書を読むと改めて日本の独自性、特殊性を感じてしまう。網野善彦氏の中世の被差別階級に係る著作と併せて読むのも流れが見えるという面で興味深いかもしれない。

とまぁ此処までは真面目な感想。本書で一番面白かったのが「男道」の一部であった「衆道(男色)」の件。つまり精液というのは「強い男=一人前の戦士(武士)」の基本であるから男子は常に精を漲らせ、少年は強い「男」から精液を注ぎこんでもらわなくはいけないという論法。これは戦国大名に男色が多かっ論拠にもなるのだろうが伊達正宗が男色の相手との信義を守るために内腿を自傷しまくる話も壮絶なら、江戸初期の傾奇者、男伊達と言われた連中の少年狩りの逸話・・・街で可愛い少年を見つけると後をつけて実家に押し掛け「御宅の息子を自分の男色相手にしたい。以後お見知りおきを!」と言って攫ってしまうというのには驚いた。現代刑法でいえば「猥褻目的の略取誘拐」に相当するのだが、連中にしてみれば男色は別に「猥褻な行為」ではないのだから面白い。

加えて面白かったのが切腹の作法などで、決闘して相手を殺した時は、その骸の上に座って自分も切腹して死ぬ、という話。要するにどっちに転んでも死ぬのだから最後だけは自分の正当性を証明しましょうや、ということなのだろうがとても真似できる話ではない。

結局南極、「男道」「武士道」「任侠」というのは聞こえはいいが「どうせどっちに転んでも死ぬのだし」という世界でしか成立し得ないということがお分かり頂けたと思う。

この本を読んだ後でも貴方は「サムライ」を名乗れるでしょうか・・・って「侍」でなくて「サムライ」だからいいのか、やはり(笑)

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