I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2013/05/19 / 01:59

唐突な話で申し訳ないが、自慰行為、所謂オナニーをするとき、器具を使う人の割合はどのくらいなのだろう、と真面目に考える。

人間、誰だって好奇心はあるし気持ちの良いことはしてみたい。ただそれを「買ってまで」使うかというラインで引っ掛かりは出て来るのだろうが基本的には、「あるなら使ってみたい」と思うのが人情ってものだろう。かくいう自分もそれは同じ。以前、オリエント工業のラヴドールをこの目で見た時の日記に「もし人が誰も居なければ、この人形を目の前にして、俺は自分を抑えておける自信が無い」と書いた通りである。

そんなわけで、今週は体調不良を引きづりつつチビチビと読み進めていた

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     田中優子「張形と江戸女」

読了。

「張形」とはディルド・・・つまり男根の形を模した性具・・・蠕動しないバイヴである。この本は春画に描かれた張形を通して江戸時代における女性の「性」を活写した傑作である。

本書を紐解いて最も興味深いのが、女性が嬉々として張形を使う姿である。描かれているのは武家の奥女中など、男との出会いの少ない女衆が中心なのだが、巨大な張形を出入りの小間物屋などから買い、皆で大股開いて秘所に突っ込んでいる姿はある意味、開放的でとても潔い。快楽というものを罪悪視しない姿勢というのは西欧のキリスト教的価値観が入ってくる近代以前、古代から中世における民俗学的見地からの巫女、白拍子、遊女といった女性を通して見た「性」、或いは社会の中での位置を考えてみれば日本の社会が非常に「自由な」「性的タブーの少ない」国であったことが見えてくるわけで、そういった意味からも江戸期に張形が庶民の間にまで浸透していたという記述は納得がいく。

しかし本書に掲載された浮世絵における江戸期の男女と性というのは奔放である。やっている事は現代のAVと変わらない。女のひとり遊びのみならず、小僧や老人のチンコに張形を被せて事に及ぶ女、張形を後ろにつけて前後で3Pをカマす若旦那。はたまたチンコの上方に張形を装着し、上下2穴責めをする男。そして絡み合う若衆と女の後ろから、女のモノに張形を突っ込み、若衆のアナルに自分のモノを突っ込む男、等々まさに酒池肉林である。

加えて面白いのが、張形には牛蔵、亀蔵、木蔵というように作られた材質により呼び名が変わり、最も高級なのは水牛の角で作られた逸品で、角の空洞部に湯に浸した綿を詰めると角の表面が柔らかくなり、チンコのうな感覚になる・・・とある。これは驚いた。そしてそれら高級品が買えない町衆の女たちが張形の代わりにぶっとい擂粉木棒を秘所に突っ込んでいる浮世絵はのけぞってしまった。おまけに「人と貸し借りをしないよう」なんて書いてある。だれが人の穴に突っ込んだモノを自分で使ってんだい(笑)

そんなわけで本書、先述の通り数多くの図版を通しユーモアを交えつつ江戸期における自由で明るい「性」を描いているわけだが、解説にもある通り一番大切なのは口を開けば「女性差別がどーの」「フェミニズムがこーの」と脊髄反射的反対運動しか出来ない連中とは全く別の次元で、「女性にも性欲はある」という当たり前すぎるくらい当たり前な事実を男が色眼鏡ではないフラットな視線でしっかり認識する、という事だと思う。

実際、本書に掲載されている春画における男性像が男臭い武者絵のような造形でなく、役者や若衆と言った今でいう「BL」的造形や描写になっているというのはズバリ、女性の好みでもあるからだ。

結局、人が人であり続ける限り、古今東西、睡眠欲と食欲と性欲のバミューダ・トライアングルから逃れるすべはないという事だ。


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