I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2013/05/13 / 06:44

「風」というものを意識して生きるようになったのは、何時頃からだろう・・・と考える。

多分、生まれ住んだ東京と神奈川を離れて静岡に流刑された時からだったように思う。仕事に煮詰まると車を駆って、富士山の太郎坊へ、或いは沼津の千本浜や時には伊豆半島の戸田村辺りまで行ってボーっと風に吹かれていたものだ。7年近い流刑生活を終えて神奈川に戻ってきてからも事ある毎に湘南や横須賀の海に行き、都内に戻っても湾岸辺りで一人海を見ていたりするのは、海であれ山であれ風に吹かれているとすべてが飛んで行ってしまうような感覚・・・丁度憑き物が落ちたような感覚になるからだろう。

それとも、地に足付けていないと生きられない乙女座の男の癖に、何時か一陣の風のように何処かへふぅっと消えてしまいたいとでも思っているのだろうか、と思ったりもする。

同様に、自分がパット・メセニーというジャズ・ギタリストが好きな理由も、メセニーが中西部の出身であり、ブルースやゴスペルをベースに持つ黒人のジャズとは全く違う空間の広がりと地平線まで見渡せるような広大な大地を吹き渡ってくる風の感覚が音に宿っていたからに他ならない。

神保町画廊で開催されている

DSC_1189.jpg
「清田一樹写真展 FREE AS THE WIND」

を見に行ってきた。

海辺に並ぶ風車、山の上にポツンと立つ風車、夜の風車・・・という具合に風車の写真を集めている。

風車というのは、灯台と並んで好きな建物の1つである。風を感じる場所に立てられている、というのも大きな理由だが、複数基据え付けられていても、何とも言えない哀愁や孤独感を滲ませているところに惹かれる。特にブルー・ブラックの星降る夜空めがけて屹立している風車の姿には雄々しさよりも儚さを見出してしまう。そういえば昔、PCで「シムシティ3000」を熱心やっていた頃、丘や山の頂には必ず風車を立てていたな・・・という事を突然、思い出す。

画廊を出ると、神保町の街は神田祭の装束に身を包んだ町衆が行き来している。その初夏の街並みをすうっと涼風が吹き抜けていく。

♪Call me the breeze, I keep blowing down the road...♪

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