I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2013/04/09 / 00:27

読書のスピードについては完全に遅読であるので読む冊数は決して多いとは言えないが、自分は所謂「本の虫」だと自認している。

パソコンやスマホが無い環境に順応するのは容易いが、本が無い環境に置かれるのは考えただけでも心が折れそうになる。無人島や山奥に置き去りにされるのであれば、聖書でも共産党宣言でもイーリアスでもいいから、兎に角、読む物を置いて行ってくれよ!と思う。

自分にとって「食事」という行為が単なる栄養の摂取手段ではなく、ある種「神聖な儀式」であるのと同様、「読書」も単に「時間つぶしのため活字を目で追う」事ではなく、「書店に足を運ぶ」ところが刑法的表現で言うところの「行為の着手」に相当する。故に、その取っ掛かりとなる「書店」の存在は大変重要な位置づけとなる。
先週末に購入した

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永江朗「新宿で85年、本を売ること
 ~紀伊國屋書店新宿本店 その歴史と矜持」


読了。

内容は、副題の通り。自分にとって、新宿の書店といえば紀伊國屋である。他の選択肢は無い。中学生以降、新宿で雑誌や漫画を除く「読み物」を買った事がある書店は紀伊國屋だけである。その理由は何か、と問われれば答えは簡単だ。本書にも客の声として書かれている通り「紀伊國屋で手に入らない本は無い」と思っていたからに他ならない。今でこそ、本を買うのは神保町の「書泉グランデ/ブックマート」「東京堂」「三省堂」になってしまったが基本的に「紀伊國屋と三省堂で手に入らない本は古書店を回るかウェブで探す他は無い」という思いは変わらない。

本書は、そんな客の勝手な思い込みに応えるべく奔走する紀伊國屋書店の姿/矜持を創業者である田辺茂一氏の人生と共に振り返ると同時に書店業界或いは新宿という街の変遷を追った力作である。

特にこの田辺茂一氏という方のバイタリティには脱帽する。こういう言い方は失礼かもしれないが、やはり政治にしろ文化にしろ、時代を切り開き作っていくのは豊かな財力、高い教育レベルを持つと共に大人の遊びの出来る「いいところの坊ちゃん」なのではないか、と思った次第。死の病床にあって見舞いに訪れた故・立川談志師匠との粋な会話は感動すら覚える。時代背景もあるのだろが、もうこのような生き方の出来る人は出て来ないのではないかとすら思える。

加えて本書は「本屋をやってみたい」人や現在書店で勤務している人にとって、接客や仕入れ、在庫の管理等大きな指針を与える作品になっている。個人的には「例え売れなくとも、置いておくべき本は置いておく」という姿勢だ。これは超大型店であるからこそ言えるのだ、という事は重々承知の上だが、そのような姿勢は非常に「書店として」大切だと思っている。

因みに現在、自分自身は先ほども書いたように紀伊國屋や三省堂といった超大型店には殆ど行っていない。オールラウンダーであるが故の広すぎる店内と混み方がじっくりと本を選ぶ上で自分の妨げになっているからである。「選択肢が増えすぎると人は却って決断できなくなる」という例えではないが、神保町の「書泉」や「東京堂」のようなある種のジャンルに特化した書店の方が「居心地が良い」からだ。

何れにせよ、読書人口の減少や活字離れが叫ばれる中、「書籍」「読書」を心から愛する者の一人として紀伊国屋のような書店には是非とも100年、200年先まで生き残ってもらいたいと祈るばかりである。

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