I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2013/03/09 / 01:11

小説を読む時は、日本の作家よりも圧倒的に外国の作家の方が多い。

自分にとって読書は現実逃避の一手段であるから登場人物が「佐藤」だの「田中」だのといった身近な名前であるのも嫌だし、間違いだらけのハードボイルド、警察小説というのも気に食わない。それ故、日本人作家の作品を読むときは時代物が多くなるのは必然、というヤツなのだろうが当然のことながら、例外はある。

そんなわけで、

   4093860602.jpg
 飯嶋和一「汝ふたたび故郷へ帰れず」

読了。

話の粗筋は

・・・日本ミドル級ニ位のボクサー・新田駿一は、一度もタイトルに挑戦できずに二十代半ばを迎えていた。底辺の生活に倦み、将来に絶望した新田は腐りきってリングから降りる。やがて当てもなく帰った故郷の島で、新田はジムの会長の急死を知る。そしてボクサー・新田駿一が故郷の人々の誇りであったこと、死んだ会長の人生の誇りとなるべき存在であることを思い知り、負け犬のままリングを去ったおのれを恥じ、再起を決心する。二十代後半の年齢で上位ランカーに再び返り咲くのは困難をきわめた。が、新田は二度と迷うことはなかった・・・

というもの。

悪い言い方をすれば「手垢のついたような挫折と再生モノ」である。しかし読み始めるやグイグイとその内容に引き込まれ、感動し、武者震いし、手に汗握っている自分に気付く。ボクシングという世界を殆ど知らないに等しい自分が、である。

それは此処で描かれている世界がボクシングのみならず日々の仕事でもいいし運動でもいいが、自分で自分に架した重圧、或いは責任、決まり事・・・と闘っている事を「意識している」人には全て共通するからではないか、と思う。

ハードなトレーニング、厳しい減量、試合前に襲い掛かる不安・・・どれも自分の日常に照らしあわせることが出来る旨い下ごしらえがなされている、という感じである。故に読者は俊一と共に体を動かし、気持ちを昂らせ、拳を握りしめる。

そしてそんな俊一を支えるトレーナーの「ワカダンナ」の存在感がとても良い。所謂「スポ根」にありがちな熱血トレーナーではない。飄々として表情に乏しく決して怒鳴り散らしたりはしない。話をし、理詰めで納得させる。自分は体育会系の「熱血指導」という手法が大嫌いなので、ワカダンナの指導法は非常に好感が持てると共に、「コイツに賭けてみるか」という気になってくる。そういう面でもやはり読者はトレーナーに肩入れしつつ共に試合を「闘っている」のだ。

個人的に心に染みたのは以下の一節。

「何のために打つんだ?パンチにはすべて意味がなくちゃならない。下村さんもお前もただボディ打ちにこだわってただけだ。まるで神経症だ。・・・・それで自分のリズムを崩したり、危機に陥るなんてのは馬鹿げてる。ただお前が時折コンビネーションの中で右ストレートの後、レバーを左アッパーで打つ時だけはバランスが崩れない・・・心配ない。俺は、お前のボディブローはこれだけでいいと思う。速い右ストレートを当てた後、左左のダブルの一発目だ。いいか、顔面へ右。返しの左をレバー、同じ左で顔面に返す。俺の言っていることが解るか?で、お前はどう思う?」

こんなセリフを吐かれたら、嫌でも信用したくなる。先ほども書いたように男が「賭けてもいい」という気持ちになる瞬間が見事に描かれている。

人間ってのは因果な生き物で、其処に戻れば決して楽な道は無いし、結果が付いてくる保障も無い、だけどやらなけりゃ自分の気持ちにケジメが付けられないような場面に何度も遭遇する。自分もこれまでそうだったし、これから死ぬまで幾度も岐路に立たされることだろう。そんな時、こういう本が少しだけ背中を押してくれる・・・のかもしれない。

久し振りに小説を読んで魂が奮えた。ありがとう!

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