I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2012/11/11 / 11:44

先日訪問した、銀座「ヴァニラ画廊」で開催中の「封 -WHO- みてはいけない」天野行雄、荒井良、山下昇平 3人展 だが、昨日はその開催記念特別トークイヴェントに行ってきた。

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3人の作家さんによる作品解題や制作に纏わるエピソード等を伺えて、楽しい時間を過ごすことが出来た。

今回の作品展は画廊さんが「見てはいけない」という「御題」のみを出して後は作家さんの自由な解釈で、というコンセプトだったらしいのだが同じ「みてはいけない」でも山下さんは「メデューサ」、荒井さんは「原子炉」、天野さんは「禁忌」という三者三様の解釈でとても面白かった。

自分の場合、やはり「見てはいけないもの」と言われれば、先日お話を伺った天野さんのように宗教であったり或いは民俗に由来する禁忌・穢れといった方面に意識が向くのだが、純然と「視覚として『見てはいけない』メデューサ」をモチーフに仮想舞台劇(実際に、そのような演劇は行われていない)で使う「仮面」や「小道具」として作品を制作された山下さんや、原体験としての「原子炉のへの恐怖」から(この例えは御嫌かもしれないが)H.R.ギーガーを髣髴とさせる有機体の連続による生理的嫌悪感の喚起ともいうべき作品を制作された荒井さんのお話は大変興味深く聴くことが出来た。

その中で

「メデューサはその目を見た者を石化するが、身体のみならず衣服まで石化するのは衣服が自意識と一体化しているからか」
「完全に自己を否定している者は石化しないのか」
「盲目でメデューサを見ることの出来ない者は石化しないのか」

といった話題は自分自身、お話を聞きながら「う~~~ん」と考えてしまった。

加えて山下さんの「一人特撮」であるとか天野さんの「小学4年の時クラスに居た『先輩』とあだ名される同級生」から言われた「そのオモチャは後で価値が出るから箱を開けてはダメ」という「遊んではいけない」お話等、大いに笑わせていただいた。

土曜の夜、銀座という土地で、このような作品を見ながら楽しい話を聞いて過ごすのもいいものだな、と思った次第。

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会場で販売されていた山下昇平さんの作品図録。架空舞台劇「メデューサの踊り子」の詳細な設定等、作品をより深く味わうことができる。


因みに自分の場合、「原体験の恐怖」と言われて真っ先に思いつくのがやはり宗教的恐怖である。

子供の頃、神奈川県の逗子に住んでいたのだが駅に程近い金毘羅神社で懐紙に盛られた「お供え」の小豆を、懐紙を破り捨て地面にばら撒いたのを母親にこっぴどく叱られた。後から考えると大変、罰当たりな事をしたという「引っ掛かり」が未だに心の奥底に残っていたりする。

そしてそれを凌駕する恐怖。それは「キリスト教」である。冗談でもネタでもない、念のため。やはり逗子に住んでいた子供の頃、散歩の途中、教会の前に来ると自分は火が付いたように泣き叫んだ。あの建物、十字架が兎に角、怖かった。加えて「讃美歌」である。小学生になる頃まで「きよしこの夜」の旋律は恐怖の代名詞以外の何者でもなかった。幼少時、親や親戚から語られた怪談や「あそこは昔、刑場でね・・・」といった夜話など近くにもよれない程「異質な恐怖」であった。そして困ったことに、当時の逗子には幼稚園が2つしかなく、前者は件の逗子教会が経営している幼稚園、そして後者が延命寺という寺が経営している幼稚園だった。当然、自分が入園したのは後者である。そして毎朝、弥勒菩薩を拝むことから始まり、鐘突堂だの墓場だので遊んでいるうちに、徐々に今の人間性が形成されてきた、というわけだ。つまり自分がブラック・メタルを好きになるのは必然だったわけだ(これは、ネタ)。

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