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ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2012/09/14 / 01:27

最近また、「時代物読みたい!」サイクル突入で手にした1冊。

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山本一力「損料屋喜八郎始末控え」

が滅法、面白かった。

粗筋は・・・上司の不始末の責めを負って同心の職を辞し、刀を捨てた喜八郎。庶民相手に鍋釜や小銭を貸す損料屋に身をやつし、与力の秋山や深川のいなせな仲間たちと力を合わせ、巨利を貪る札差たちと渡り合う・・・というもの。

興味深いのが、この手にありがちな「裏社会の仲間たちと力を合わせ、強きをくじき弱きを助ける勧善懲悪モノ」ではない、という部分。所謂「仕置き人」やアンドリュー・ヴァクスの「アウトロー探偵バーク」シリーズのような作品を期待すると見事に肩透かしを食う。

主人公の喜八郎の「裏稼業」は「横暴を極める蔵前の札差達を倒す」事ではなく「商才の無い『札差・米屋』2代目を先代から依頼されたので助けてやる」事である。殆どの挿話における喜八郎の姿勢が「米屋に飛んでくる火の粉を払う」ことに徹しているのはそのためである。

勿論、破落戸や渡世人との荒事描写もあるが、それは飽くまでも「ふりかけ」程度の比重でしかない。話の主眼は海千山千のヤリ手札差連中を向こうに回して丁々発止と頭脳戦を挑む喜八郎の貫く「粋」であり果たそうとする「義理」、そしてそれに絡む深川の人々との「情」の描写である。

常に喜八郎と米屋の前に立ちはだかる「敵役」伊勢屋にしても商売の場ではとんでもなく強欲で非道な一面を見せる半面、情に厚い記述もあり簡単に「悪役は倒してしまえばいい」と行かぬところが実に良い。池波正太郎が「仕掛人・藤枝梅安」で書いていた「人は悪い事をしつつ良い事をし、良い事をしつつ悪い事をする」を体現する作品でもある。徳川時代、それも田沼バブルが弾け、寛政の改革が始まろうとする不景気な時代にあって粋を貫く喜八郎の生き方は男としてとても惹きつけられる。

粋と言えば本作ラストを飾る「吹かずとも」は素晴らしい出来である。

此処に、富蔵という料理人が出て来る。この富蔵、元は神田鍛冶町で町内神輿総代だった男であるが或る事情で深川へ転居してきた。深川冬木町で町神輿を出すのが夢だった肝煎の徳兵衛は転居して間もない富蔵に神輿の総代を依頼する。富蔵が転居してきた「事情」、そしてクライマックスとなる富岡八幡宮の祭礼に至る間で描かれる男の心意気が魂を揺さぶる。

因みに深川とは所謂「江戸御府外」の土地である。代々、新橋~銀座育ちのうちの親、親戚など未だに月島や深川といった隅田川の東側を「川向う」と言い「川向うは東京ではない」と公言して憚らない。彼等の頭の中には「有明」「東雲」「お台場」などという土地は東京として存在していないわけだ。

代々、東京で住み暮らしてきた東京っ子は今でもそう思っている。ましてや徳川時代、下町の中心であり祭礼の際には江戸城の中まで唯一神輿が入る神田明神の氏子たる神田っ子が深川に転居しなければならない、というのが如何に一大事であるかを想像してみれば、富蔵の行動や思いを多少でも感じることが出来るのではないか、と思う。

何れにせよ、本シリーズ、これからも読み進めていきたいと思った次第。

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