I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2012/06/16 / 14:16

子供の頃から「人形」というものにある種の恐怖を感じていた。

実家には、俺が生まれた年に買ってきた日本人形が置かれているが、小僧の時分は夜になると勝手に髪が伸びるのではないか、と大層怖かった。小学生の頃、自転車に乗って見知らぬ街まで行った時、ふと目にした「人形の家」という看板。足を踏み入れると部屋の中に置かれた何十体という西洋人形が此方を見ている。身体が恐怖で強張った。仕事で足を運んだ某警察署。「この人形を動かすと、必ず事件が起こるんですよ。だから掃除の時でも動かさないよう、言っていますよ(笑)」生無き筈のものが人間を畏怖させる。三国志の逸話

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」

は現代でも通用する。

先日、銀座のヴァニラ画廊で開催中の人形作家、清水真理さんの個展「Metamorphoseー変容ー~傷みが悦びに変わるとき~」を見に行ってきた。清水さんの人形を知った切っ掛けはMUCC "アンティーク" のジャケット写真だったのだが、この目で作品を見たのは今回が初めてである。

     DSC_0705.jpg

廊内に展示された人形・・・開腹処置を施され、或いは磔刑に処せられ、そして義足を装着した少女達。全身を苦痛が支配しつつも何処か悟ったような表情を浮かべる美しい顔、そして彼方此方に飾られた十字架やロザリオ、そしてダンテの神曲といった宗教的モチーフとの融合に惹きこまれる。

肉体的な苦痛、痛みというのはあくまでも「痛み」でしかない。しかし精神力によってそれをある種の愉悦に昇華することが可能な場合がある。それはジムでのハードなウェイト・トレーニングでもいいし、SMクラブにおけるプレイでもいい。苦行を重ねて解脱に至る修行僧然り、前出の「神曲」、地獄めぐりから始まり煉獄を経て、天界に至ってもまだベアトリーチェから禅問答のような追及をうけるマゾ野郎ダンテも、また然りである。まさにCATHEDRAL "Reaching Happiness Touching Pain"ではないか。自分自身、つまり内なる自分と対峙することによる苦痛の享受と愉悦への昇華。開腹された人形たちも含め、これは内宇宙的な表現なのではないか、と思った次第。

加えて自分が清水さんの人形が好きな理由。それは顔の美しさ、である。有名なCMではないがやはり「人形は顔が命」だと思う。清水さんの人形の、ふっくらとした頬、そして鼻梁から人中を経て顎に至る正中線の美しさは本当に惚れ惚れする。今回は人形に加え、ポスターも貼付されていたのだが、其処に映る天草四郎はとても美しかった。

    DSC_0706.jpg

帰りに物販で、サイン入り作品集「Miracle~奇跡~」を購入。実際の展示で見るのとは違い、よりダーク且つフェティッシュ、そしてゴシックな表現、そしてそれを映しだす写真が素晴らしい。


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まとめwoネタ速neo 2012.06.20 01:48

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