I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で


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2011/09/15 / 01:25

どこぞの高校の入試で

「芥川龍之介『蜘蛛の糸』の第3章は必要か否か?」

という問題が出題されたらしい。答えは「必要」でも「不必要」でも自分なりの論理的な説明が為されていれば正解とのこと。実に個性的で、良い問題だと思う・・・ので改めて「蜘蛛の糸」を読んでトライしてみた(笑)

          蜘蛛の糸


「蜘蛛の糸」第3章は必要である。

理由:
第3章があることにより、第2章で終わっていれば「自分勝手な行いをすれば必ず自分に報いが来ます」という極々当たり前の教条主義的な結末を「天(神)の意志は計り知れず、時として気紛れ且つ無情である」というある種の不条理的帰結に昇華することに成功しているからである。

では何故、天の意図は気紛れ、且つ無情なのか。

理由は5つ

第1に、お釈迦様は朝の散歩の際に蓮池を通りかかって「偶然」「たまたま」カンダタという男が「目に入った」のあり、当初からこの男の救済を目的としているわけではなかった点

第2に、カンダタは足下の蜘蛛をあくまでも「気紛れで殺さなかった」のであり、これを「助けてやった」と解釈するのは誠に以て独善的である。

第3は前項に付随して、この程度の「善行」が殺人や放火の罪を犯した凶悪犯罪者のカンダタを「地獄から出してやる」ための擬律判断材料となるのであれば地獄に墜ちている者の殆どは極楽浄土に行く資格を有する・・・つまり地獄と極楽の存在理由がなくなってしまう。

第4として、もしカンダタがエゴを出さなかった場合、お釈迦様は蜘蛛の糸につかまった無数の罪人たちを全員極楽浄土に迎え入れる意思があったとは到底考えられず、カンダタが極楽に入った時点で其処から糸を切ったであろうことは想像に難くない。

第5に、最終章においてカンダタが再び地獄へ落ちていく光景を見て一寸だけ悲しそうな顔をするも、すぐに散歩を再開し、その周りでは咲き乱れる花々の良い香りが漂って云々・・・の描写は、極楽浄土の平和な営みの中では地獄がどのような状態であろうが基本的に興味の対象外であるという暗示がされていること。

以上の理由から、本作品におけるお釈迦様の行動は、気紛れ且つ無情であると解釈する事が出来、それを決定付ける余韻を残すためにも第3章は必要であると考える。

以上。


な~~~んて知恵熱出てしまいそうなことを書いたけど、とどのつまりは「天の助けなんか当てにしてねぇで自分で自覚持ってしっかり生きろ」ということなんだろうけどな。

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