I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で

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2013/05/29 / 02:00

最近になって漸くリリースされている事を知った

Dead-Can-Dance-In-Concert.jpg
DEAD CAN DANCE "In Concert"MP3

をオフィシャル・サイトから漸くDL。

2012年のワールド・ツアーからのライヴ音源集。選曲の大半は最新作 "Anastasis" からのものだが "Host Of Seraphim" のような過去の名曲もあり。ただし "Carnival is Over" "Black Sun" は入っていないので念のため。

音は説明の必要ないだろう。余りに演奏が完璧すぎて当初は「スタジオで作った疑似ライヴ盤」と言われた "Towards The Within'"同様、スタジオワークを完璧に再現し、そしてライヴならではの臨場感溢れる素晴らしい音源である。以前にも書いたように自分はリサ・ジェラルドよりもブレンダン・ペリーの声が大好きなので、"Opium" "All In Good Time" のような曲はグッと痺れる。特に自分は昨年の日本公演を見に行くことが出来なかっただけに、これが実際にライヴで再現された事を考えると今更ながらにライヴに行けなかったことが残念でたまらない。

因みにこの音源、LPは重量ヴィニール仕様の3枚組ボックス入り仕様16曲収録でダウンロード・カード付。CDは輸入盤1700円弱で5曲少ない11曲。MP3は12ドル弱でLP同様16曲収録・・・とすると高いCDをわざわざ買う必要性が殆ど無い。

CDが売られ始めた当初、LPは絶滅するのではないか、と言われたがどっこい、今では豪華仕様(ダイハード盤)等の仕様で好事家向けコレクターズ・アイテムとしての地位を確立してしっかり生き残っている。考えてみるとCDを買ってもすぐにPCから iTunes に取り込んでディスク自体は全く聴かない。そう考えると、現代にあってはCDこそが絶滅に瀕したメディアなのではないか、と思えてくる。

ひょっとしてあと10年も経てはCDは音楽のメディアとしては消えている可能性、あると思う。


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2013/05/27 / 21:11

最近は音源聴いているより本を読んでたり、漫画を読んでいたり・・・とは言っても沙村広明さんの「シスター・ジェネレーター」「ベアゲルター」、鶴ゆみかさんの「ヒーローマスク」を繰り返しめくっているだけなのだが・・・・という時間が多く、また中古盤を漁りに行ってもピリッと辛味の効いた音源と出会ってない。しかしそんな中でも心を動かされる音源はあるわけで・・・

Gehenna.jpg
GEHENNA "Negotium Perambulans in Tenebris" CD

アメリカ西海岸出身、ブラック/ハードコア、GEHENNA。別名 THE INFAMOUS GEHHENA の1stが紙ジャケ仕様で再発。遠い記憶の糸を手繰ると・・・・持っていたな、これ(笑)調べてみるとリリースが2000年。もう13年も前なのか、と思う。結局、一度は手放したということは、当時は自分の感覚に合わなかったのだろう。

そして時は流れて幾年月。超久しぶりに聞いた・・・ら、凄くカッコ良かった。今更ながらの話で恐縮だがな。巷で言われるように CELTIC FROST~HELLHAMMER というよりも、「物凄くRawな INFEST」「重くて切れ味鋭い RUPTURE」なのだな、と思い至る。INFESTのようなストイックさとは真逆の憎悪に満ちた真っ黒な音塊はある種 G.I.S.M.にも通じるものがあるのでは、とも思う。ファシズムを連想させるような暗いアートワークも秀逸なら、GG Allin "Bite It You Scum" のカヴァーも実に良い感じでハマっている。

あと1枚。

Kofu-63.jpeg
Kofu-63 "Greatest Shits"CD

フィニッシュ・パンク/ハードコア、Kohu-63 のベスト盤(?)。最初にこのバンドを知ったのはもうかなり前。ライヴ見に行ってお客の1人が背中にデカく Kofu-63 とペイントしていた。俺は当時何も知らなかったので「あ~甲府から来たハードコア・クルーか・・・Bleed For Pain の絡みかな・・・」とバカ丸出しな事を考えていたものだ。それがバンド名だと知ったのはもう少し後になっての話。

でもってKofu-63。最近1stLPが再発されたが実家に戻らないとアナログが聴けないのでスルーしていた。音としても2004年の "Korkeapaineistettu Hullujenhuone" しか持っていなかったので是非CDで持っていたかっただけに嬉しい1枚。

個人的な印象として、スウェーデンと比べるとフィンランドのハードコアってパンク・ロック色が強く、ルーズな印象があるのだが、それがまた独特の緩さになっていていい感じ。このバンドもまさにそんな感じ。切れ味鋭く、リフも若干スラッシュ風になった2004年の音源もカッコいいが、此方もたまらない魅力にあふれている。

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2013/05/27 / 00:52

近頃、何かにつけて「サムライ・ジャパン」を始めとして「サムライ○○」と言いたがる風潮が大嫌いだ。

基本的に「江戸情緒がどーの、東京の老舗がこーの」と言ってる人は地方出身者なのと同様、自称「サムライ」の祖先は大半がサムライでもなんでもない水飲み百姓か四つじゃないのかい・・・と思う。かく言う自分にしたところで祖先は花柳界関係で、某政治家を生んだ家系の妾腹筋なのだから間違ってもサムライなんぞではない。しかし考えてみればそれらの表記はあくまでも「サムライ」であって「侍」でないからいいのか(笑)

では一体「侍」とは「武士道」とは、そして「男らしさ」「男道」って何だろう・・・と思った方はこの本を読んでみるのも一興だろう。

そんなわけで

  DSC_1205.jpg
氏家幹人「サムライとヤクザ 『男』の来た道」

読了。

大変興味深く、そして面白い作品だった。

話の粗筋は・・・

戦国の世から徳川の泰平の世への転換に伴って、戦士の作法であった「男道」は色あせ、役人の心得である「武士道」へと様変わりする。江戸前期に鳴らした「かぶき者」が幕府から弾圧されると、「男」を継承したのは江戸の藩邸が雇い入れた駕篭かきなど町の男達だった。武士が武威を彼ら荒くれ男に肩代わりさせた結果…。武士道神話、任侠神話を豊富な史料をもって検証する「男」の江戸時代史・・・

というもの。

元々は「戦士」であった武士が平和な世の中が続いたことにより戦う場を奪われ、武芸を忘れ、次第に非武装化されていく過程、そして中世から連綿と続く「権力に対する反抗のアイコン」であったバサラ、悪党、傾奇者といった集団が幕府の弾圧により姿を消すに至り、「戦士」としての武士というある意味「異端」であった存在は次第に社会に同化させられていく。洋の東西は違えど、ヴァイキングで有名な北方民族がキリスト教を受け入れることでヴァイキングしての活動が次第に沈静化し、住み着いた世界各地で次第にそのコミュニティに同化していくのに似ている。

その後、「戦士」或いは「男気」としての一面は火消し、駕籠かき(陸尺)、渡り中元等、市井の荒くれ者たちによって受け継がれ、其処から所謂「任侠道」が生まれ、明治以降、ヤクザに繋がっていくという流れは非常に面白い。自分は別にヤクザ者を美化するつもりは全く無いが、日本人の多くがヤクザ者に対して表面上は不快感を示すものの内心では決して撲滅しようと思っていないのは未だ「任侠」という言葉に対する幻想、憧憬があるからなのだろう。

では何故「男気」「男道」「任侠」という概念、生き方が生まれたのか・・・これは社会が不安定だからという理由に他ならない。戦争(いくさ)、劣悪な治安状況、稚拙な医療技術等々、昔は人生短かった。だからこそ「自分の思うままに生きよう」と思う。これが平均寿命が80歳を超え、金だの仕事だの社会的地位だの家庭だのと守るべきものが増えてくれば「いざとなったら腹切って死んでしまえばいい」という価値観は生まれ得ない。その不安定感が常軌を逸した行動や信念・美学を生む。

例えば実際の「戦士度数」がヤクザ者よりも遥かに高い警察、消防、自衛隊というのは職業的使命感・倫理観に動かされている人達であり、「公務員」である。そこが「社会の底辺でヤクザにしかなれなかった」人達と大きく袂を分かつポイントでもあるのだろう。

以前にも書いたが、警察が「暴力団撲滅」を掲げながら実際は「外国人マフィアや小僧のギャングを抜鉤させるより、暴力団に盛り場を仕切らせておいた方が安全だ」と考えている人が少なからず居るというのは、やはり「奴等は任侠の人間なので筋を通せば分かってくれる」という考えがあるからに相違ない。

戦後、繁華街で乱暴狼藉を働く台湾人や朝鮮人を、警察とGHQが黙認する形でヤクザ者に襲撃させるという話は、江戸末期の討幕戦において徳川方にも官軍側にも武士ではない、全身刺青の荒くれ者たちが多数含まれていたという事実とも重なってくる。本書を読むと改めて日本の独自性、特殊性を感じてしまう。網野善彦氏の中世の被差別階級に係る著作と併せて読むのも流れが見えるという面で興味深いかもしれない。

とまぁ此処までは真面目な感想。本書で一番面白かったのが「男道」の一部であった「衆道(男色)」の件。つまり精液というのは「強い男=一人前の戦士(武士)」の基本であるから男子は常に精を漲らせ、少年は強い「男」から精液を注ぎこんでもらわなくはいけないという論法。これは戦国大名に男色が多かっ論拠にもなるのだろうが伊達正宗が男色の相手との信義を守るために内腿を自傷しまくる話も壮絶なら、江戸初期の傾奇者、男伊達と言われた連中の少年狩りの逸話・・・街で可愛い少年を見つけると後をつけて実家に押し掛け「御宅の息子を自分の男色相手にしたい。以後お見知りおきを!」と言って攫ってしまうというのには驚いた。現代刑法でいえば「猥褻目的の略取誘拐」に相当するのだが、連中にしてみれば男色は別に「猥褻な行為」ではないのだから面白い。

加えて面白かったのが切腹の作法などで、決闘して相手を殺した時は、その骸の上に座って自分も切腹して死ぬ、という話。要するにどっちに転んでも死ぬのだから最後だけは自分の正当性を証明しましょうや、ということなのだろうがとても真似できる話ではない。

結局南極、「男道」「武士道」「任侠」というのは聞こえはいいが「どうせどっちに転んでも死ぬのだし」という世界でしか成立し得ないということがお分かり頂けたと思う。

この本を読んだ後でも貴方は「サムライ」を名乗れるでしょうか・・・って「侍」でなくて「サムライ」だからいいのか、やはり(笑)

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2013/05/26 / 23:30

相変わらず、仕事がバカみたいに忙しい。

今週は連日、朝7時半に出勤して帰って来るのが22時過ぎという状態で、金曜の終業直前に緊急の仕事が飛び込んで、また週末が丸潰れになる危機に直面したものの、それだけは何とか回避することが出来た。ハードボイルドの探偵のように「俺は引け際の電話は取らない主義だ」と言って済んでしまうほど世の中は甘くない。

そんなわけで、昨日の土曜日、早稲田ZONE-Bで行われた "United Thrash Night Vol.87" を見て来た。

    UTN87.jpg

出演は順に

DUSTPAN
SHORT FUSE
SAIGAN TERROR
COFFINS
MOSOMOSO
WOLFGANG JAPANTOUR
CRUCIAL SECTION


の7バンド。

1800のほぼ定刻通りにライヴ、スタート。1番手のDUSTPAN、最近は連続してライヴを見ているが本当にカッコいい。メタル風味皆無で飛ばしまくる KORO や NEOS、THE FIX 辺りを髣髴とさせるファスト・コア。演奏時間約15分であっと言う間に終わりなのも潔い。

あとこの日の自分のお目当ては COFFINS。いつもは速いバンドが大多数を占めるスラッシュ・ナイトにおいてズルッた遅さを武器にする COFFINS はある意味、異色の取り合わせではないかと思うのだが、自分は久々に見る COFFINS のライヴで終始アタマ振りっぱなし。ラストの "Grotesque Messiah" はとても良かった。

トリは CRUCIAL SECTION。新作EPの録音も終わったそうで、この日は新曲も1曲披露。新しい音源も期待、大。
やはり何時聞いても "Faster, Louder" は燃える。自分は、スローなパートからジャンプ決めて一気にファストなパートに転調する瞬間がとても好き。何度見ても、カッコいいなぁ!!!と思う。

DSC_1204.jpg

というわけで、新しいTシャツ買って会場を出る。いい汗かいた。漸く身体から憑き物が落ちたような爽やかな気分。少しひんやりした夜の風が堪らなく心地良い。

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2013/05/22 / 00:04

夏、である。

尤も、雪が舞っていようが雹が降っていようが基本的に何時だって心は夏全開、"Ready To Fly" である。暦の上でも夏が近づいてくると、無性に高中正義の音が聞きたくなる。自分の音楽の原点とは、ハードコアでもスラッシュでもメタルでもない。中学と高校の大先輩でもある高中正義に他ならない。

そんなわけで、初期音源は皆持っているものの全部実家に置いてあるので、手っ取り早く初期ベスト盤でも買おうかと久しぶりに新宿タワーレコードなんぞに行ってみた・・・が、買ってきたのは高中先輩ではなく、フェラ・クティだった。

Fela detroit
FELA KUTI "Live In Detroit 1986" 2CD

今年の8月で亡くなって15年が経過するアフロ・ビートの創始者にして別名「ナイジェリアのブラック・プレジデント」フェラ・クティ。驚くほど長い活動歴の中で正規のライヴ盤というのは1983年の"Live in Amsterdam"1枚のみである。(あとはジンジャー・ベイカーとのジョイント・ライヴ盤が1枚)

今回のブツはタイトルの通り86年デトロイトでのライヴ盤でバックはエジプト80。収録曲は

"Just Like That"
"Confusion Break Bones"
"Teacher Don't Teach Me Nonsense"
"Beasts Of No Nation"

の4曲。

どれも1曲30~40分の長尺でマイルスのライヴ盤「ダーク・メイガス」並みの体力勝負である。個人的には70年代に本拠地であるナイジェリアの「アフリカ・シュライン」でのライヴ録音/映像をフルセットで見聞きしたいのだが、こうして良い状態のライヴ音源が出たことに感謝したい。

音の方は・・・言わずとも良かろう。

流れるように、そして執拗に繰り返されることで次第に魂を沸点近くまで持っていく独特のグルーヴ。「アフリカ」という言葉から頭に浮かぶ呪術的妖しさを非常に分かりやすい形で見せる/魅せるヴィジュアル。キャリアとしては後期の録音だが、その妖しさとカッコ良さは消えていないことを再確認。「一度レコードに収録した曲はライヴではやらない」と言われていたフェラだが、大好きな "Gentleman" "Water No Get Enemy""Zombie" "J.J.D." "Gba Mi Leti Ki N'Dolowo" 辺りのライヴ・テイクは是非とも聞いてみたいところ。


ジンジャー・ベイカーが撮影したかなり有名な71年の映像だけど、この「黒さ」はハンパじゃない。


アルバム「イコイ・ブラインドネス」収録。大好きな曲。


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2013/05/20 / 01:15

昔から「歩く」という行為が大好きだった。

自分は職業的制約等々があって海外に出る事は殆ど出来ないのだが、彼方此方を歩き回るのは大好きだった。京都でも東京でも湘南でも・・・歩くときは地図やガイドブックの類は一切持たない事を信条としている。地図を持たない、とはいえ当然の事として事前に何処へ行くかは計画しているし、前の晩までに周辺のランドマークや地形地物の要所は全て頭に入れてある。

勿論、下準備はしていても道に迷う事はある・・・が、それもまた楽しい。時間や予定をギッチリつめたガツガツ旅行ではない。そして自分はリュックを背負わない、大きな荷物を持たない事も信条としている。だから東京に居ようと京都に居ようと、いつもと変わらず、手ぶらで、両の手はポケットに突っこんだまま、ぶらぶらと彼方此方を歩き廻っている。そういうのが、好きなんだよ。要するに。

cover_130514_.jpg

「ギャラリー新宿座」で開催中の、岩澤深芳さんの写真展「ひざくりげ」を見に行ってきた。

スペインやルクセンブルクといった欧州諸国で撮影された写真が沢山展示されている。石畳、石造りの旧市街の路地、街の猫、カフェや公園でくつろぐ人々、ふと空を見上げて目に入る教会の十字架・・・地図を持たずに見知らぬ街を歩いていて、何気なく目を止めた日常の光景が見事に切り取られている。

地図やガイドブックを注視しながら歩いていたのでは見落としてしまうであろう普段着の街の表情がとても良い。見ていると、ふぅっと此処ではない何処か遠くへ旅に出たくなる。

前の日記にも書いたが、此処1週間は仕事でも体調面でもゴタゴタしていたせいもあるのだろうが、天気のいい初夏の午後、気持ちが楽になった。見に来て本当に良かった。多謝。

DSC_1190 (2)

余談だが、件のギャラリー新宿座がある周辺の景色、雰囲気がとても好きだ。とても新宿とは思えない静かな一角。一般に思われている「新宿」のイメージと異なり、こんな巨大な街でも1本路地を入ればまだまだ人が生活している匂いを感じることが出来る。自分が以前住んでいた曙橋周辺もそうだが地元に密着した小さな商店街や神社などが彼方此方にある。そういう風景にはやはり、地図を持たずに歩かないと出会う事は出来ない。


東京百景 / TRACKBACK(0) / COMMENT(0) / PAGETOP

2013/05/20 / 00:25

今週は仕事がいつも以上に忙しく、且つ先週から引き摺っている体調不良の影響もあり、職場と住処の往復以外は全然しなかった。当然、食している物も職場の食堂や売店、近隣のスーパーマーケットで売っている物ばかりであるので、休日出勤した昨夜、仕方なく食べた、ネタとシャリの間にシソの葉なんぞを挟んだ「握り鮨まがいのSomething Wrongな何か」なんぞを摘まんでいると自分はリアル負け犬ではないのか、という自己嫌悪に陥りそうになる。
そんなわけで、今日は漸く休み。兎にも角にも「肉とインド料理!」が食べたくてしょうがないので、毎度御馴染みの「デリー」銀座店へ。

DSC_1191.jpg

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本日の御注文は、スリランカ・スペアリブ、ドライカレー大盛、コンチネンタル・カレー、〆のチャイ。

何度も書いているが、此処のお店のスペアリブは柔らかく肉厚で本当に美味しい。当然のように手掴みで食べるわけだが、分厚い肉にガッツリと歯を食い込ませて肉を引き剥がし、残った肉は骨の周り皮と共にこれまた歯で綺麗にこそげ落とす。よく男の癖にスペアリブをフォークとナイフでチマチマと解体して食べている奴がいるが、この手の料理は豪快に食べてこそ、本来の旨味が生きてくる。美味礼賛。

続いて、ドライカレーとコンチネンタル。ドライカレーにはラッサム・スープが付く。毎度の事ながら、ドライカレーの炒め具合が絶妙でたまらない。一時期、表面が多少ベチャッとしていた時が数回あったのだが、最近は安定したようだ。これにラッサムとコンチ(ポークカレー)を掛けて食べる。カシミールやコルマといったインドカレ
ーでなく、ジャパニーズ・スタイルのポークカレーを合わせるのが乙、と自画自賛。

そんなこんなで漸く食欲を満たし、且つスパイス不足で疲弊していた身体と魂に安らぎが戻って来た。再度、美味礼賛。

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2013/05/19 / 01:59

唐突な話で申し訳ないが、自慰行為、所謂オナニーをするとき、器具を使う人の割合はどのくらいなのだろう、と真面目に考える。

人間、誰だって好奇心はあるし気持ちの良いことはしてみたい。ただそれを「買ってまで」使うかというラインで引っ掛かりは出て来るのだろうが基本的には、「あるなら使ってみたい」と思うのが人情ってものだろう。かくいう自分もそれは同じ。以前、オリエント工業のラヴドールをこの目で見た時の日記に「もし人が誰も居なければ、この人形を目の前にして、俺は自分を抑えておける自信が無い」と書いた通りである。

そんなわけで、今週は体調不良を引きづりつつチビチビと読み進めていた

harigata.jpg
     田中優子「張形と江戸女」

読了。

「張形」とはディルド・・・つまり男根の形を模した性具・・・蠕動しないバイヴである。この本は春画に描かれた張形を通して江戸時代における女性の「性」を活写した傑作である。

本書を紐解いて最も興味深いのが、女性が嬉々として張形を使う姿である。描かれているのは武家の奥女中など、男との出会いの少ない女衆が中心なのだが、巨大な張形を出入りの小間物屋などから買い、皆で大股開いて秘所に突っ込んでいる姿はある意味、開放的でとても潔い。快楽というものを罪悪視しない姿勢というのは西欧のキリスト教的価値観が入ってくる近代以前、古代から中世における民俗学的見地からの巫女、白拍子、遊女といった女性を通して見た「性」、或いは社会の中での位置を考えてみれば日本の社会が非常に「自由な」「性的タブーの少ない」国であったことが見えてくるわけで、そういった意味からも江戸期に張形が庶民の間にまで浸透していたという記述は納得がいく。

しかし本書に掲載された浮世絵における江戸期の男女と性というのは奔放である。やっている事は現代のAVと変わらない。女のひとり遊びのみならず、小僧や老人のチンコに張形を被せて事に及ぶ女、張形を後ろにつけて前後で3Pをカマす若旦那。はたまたチンコの上方に張形を装着し、上下2穴責めをする男。そして絡み合う若衆と女の後ろから、女のモノに張形を突っ込み、若衆のアナルに自分のモノを突っ込む男、等々まさに酒池肉林である。

加えて面白いのが、張形には牛蔵、亀蔵、木蔵というように作られた材質により呼び名が変わり、最も高級なのは水牛の角で作られた逸品で、角の空洞部に湯に浸した綿を詰めると角の表面が柔らかくなり、チンコのうな感覚になる・・・とある。これは驚いた。そしてそれら高級品が買えない町衆の女たちが張形の代わりにぶっとい擂粉木棒を秘所に突っ込んでいる浮世絵はのけぞってしまった。おまけに「人と貸し借りをしないよう」なんて書いてある。だれが人の穴に突っ込んだモノを自分で使ってんだい(笑)

そんなわけで本書、先述の通り数多くの図版を通しユーモアを交えつつ江戸期における自由で明るい「性」を描いているわけだが、解説にもある通り一番大切なのは口を開けば「女性差別がどーの」「フェミニズムがこーの」と脊髄反射的反対運動しか出来ない連中とは全く別の次元で、「女性にも性欲はある」という当たり前すぎるくらい当たり前な事実を男が色眼鏡ではないフラットな視線でしっかり認識する、という事だと思う。

実際、本書に掲載されている春画における男性像が男臭い武者絵のような造形でなく、役者や若衆と言った今でいう「BL」的造形や描写になっているというのはズバリ、女性の好みでもあるからだ。

結局、人が人であり続ける限り、古今東西、睡眠欲と食欲と性欲のバミューダ・トライアングルから逃れるすべはないという事だ。


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2013/05/13 / 06:44

「風」というものを意識して生きるようになったのは、何時頃からだろう・・・と考える。

多分、生まれ住んだ東京と神奈川を離れて静岡に流刑された時からだったように思う。仕事に煮詰まると車を駆って、富士山の太郎坊へ、或いは沼津の千本浜や時には伊豆半島の戸田村辺りまで行ってボーっと風に吹かれていたものだ。7年近い流刑生活を終えて神奈川に戻ってきてからも事ある毎に湘南や横須賀の海に行き、都内に戻っても湾岸辺りで一人海を見ていたりするのは、海であれ山であれ風に吹かれているとすべてが飛んで行ってしまうような感覚・・・丁度憑き物が落ちたような感覚になるからだろう。

それとも、地に足付けていないと生きられない乙女座の男の癖に、何時か一陣の風のように何処かへふぅっと消えてしまいたいとでも思っているのだろうか、と思ったりもする。

同様に、自分がパット・メセニーというジャズ・ギタリストが好きな理由も、メセニーが中西部の出身であり、ブルースやゴスペルをベースに持つ黒人のジャズとは全く違う空間の広がりと地平線まで見渡せるような広大な大地を吹き渡ってくる風の感覚が音に宿っていたからに他ならない。

神保町画廊で開催されている

DSC_1189.jpg
「清田一樹写真展 FREE AS THE WIND」

を見に行ってきた。

海辺に並ぶ風車、山の上にポツンと立つ風車、夜の風車・・・という具合に風車の写真を集めている。

風車というのは、灯台と並んで好きな建物の1つである。風を感じる場所に立てられている、というのも大きな理由だが、複数基据え付けられていても、何とも言えない哀愁や孤独感を滲ませているところに惹かれる。特にブルー・ブラックの星降る夜空めがけて屹立している風車の姿には雄々しさよりも儚さを見出してしまう。そういえば昔、PCで「シムシティ3000」を熱心やっていた頃、丘や山の頂には必ず風車を立てていたな・・・という事を突然、思い出す。

画廊を出ると、神保町の街は神田祭の装束に身を包んだ町衆が行き来している。その初夏の街並みをすうっと涼風が吹き抜けていく。

♪Call me the breeze, I keep blowing down the road...♪

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2013/05/11 / 23:35

風邪ひいた。

先日、鉄槌のライヴで叫びすぎたのがいけないのか、はたまた一所懸命仕事をし過ぎたのか(これは多分・・・ないな)は知らないが、気管支炎になり、それが治まったかと思うと、今朝は右目が完全に塞がるくらい酷い目脂で、要するに目にバイキンが入ったという事なのだろう。

今日は街を歩いていて擦れ違う人が時々ギョッとしたような面をするので、昼食を取りに入ったインド料理店で便所の鏡を覗いてあらビックリ。右の眼球に黄色い膜のように目脂がこびり付いてる。こりゃダメだ、と思って帰りにドラッグストアへ寄って艶笑・・・ではなくて円生・・・でもなくて炎症止めの目薬と、明日も治らない事態を考えて眼帯を購入。眼帯を買ったなんて何十年ぶりだろう。

        1108-dayan.jpg

俺はモーシェ・ダヤンのような眼帯が欲しかったのだが、セイムスとかマツキヨではそういう小粋な眼帯は売っておらず残念無念。

そんなわけで、調子のよくない目ん玉と、これまた調子の良くない外付けDVDドライヴを何とかなだめつつ、先週入手した

DSC_1188.jpg DSC_1186.jpg
THE 5.6.7.8's "Once Upon A Time 1992~2004" DVD

を見ていた。

最近では日本の「音楽ギョーカイ」も漸く「ロック・バンド」「パンク・バンド」なんて言葉を頻繁に使うようになったわけだが、その反面、雑誌やらレコード屋で配布しているフリーペーパーをパラパラ見つつ「オメェらの何が『ロック』『パンク』なんだよ!」と言いたくなるような連中と遭遇する回数も格段に伸びた。

間違いないのは、少なくとも自分が80年代から関わってきた「パンク」「ロック」「ハードコア」とは全く違う「『パンク』『ロック』『ハードコア』と呼ばれる何か」が存在して、それが「ギョーカイ」の寵愛を受け一般からも人気を博しているという事である。

さて、そんな不毛なシーンにあって、「日本よりも海外での評価が高い日本もロックバンド」が存在する。少年ナイフであり、AMERICAN SOUL SPIDERS~TEENGENERATE であり、そしてこのゴロッパチである。90年代から海外ツアーを行い、アンダーグラウンドなシーンで確実な評価を受けて来た日本が誇るバンド達。

このDVDにはそんなゴロッパチの90年代から00年代初頭のライヴ映像がたっぷり収められている。会場は楽器屋の店先、大学の教室、クラブ、そしてアリーナまで。ここまでウケるのは単に「日本からやってきたガールズ・バンド」という好奇心だけではないのは映像を見ればすぐわかる筈。ロックという音楽が元来持ち合わせていた生硬(Raw)な勢い~荒っぽさ、そしていかがわしさといった要素をてんこ盛りにしてぶちかますその姿はとても潔く、カッコいい。

そしてこの作品を見ていると、久しぶりにライヴが見たくなる。先月28日は仕事で足を運ぶことが出来ず涙を飲んだので、次回は是非に!!


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