I Don't Care About You !

ニヒリズムとナルシズムの狭間で

2011/03/31 / 23:28

今日で3月も終わりだ。アッという間・・・どころではない。実害の殆どなかった都内でさえ嵐と奔流に揉みくちゃにされたかのような状態で飛び去って行ったひと月だった。震災も大きな衝撃だったが、個人的には転勤に伴う職場環境と住環境の変化が最も大きなイヴェントだった。

そして今回の大震災で改めて思い知ったこと・・・それは、

「何をしても怒る奴はいる」

という事。たとえそれが無欲で見返りを求めることのない純粋な善意から出た行為であっても、「売名だ」だの「偽善だ」などと悪く言う人間は必ず出てくる。全ての人が納得いく結果など絶対にありえない。だから、そういう外野は無視すればいい。

澁澤龍彦「快楽主義の哲学」にもあったが、人間の行動における基本原則は「快楽の追及」である。気持ちよくなりたいから、人は行動する。だからボランティアにしろ何しろ、それをやるのは「人のため」でなく「自分が気持ちよくなりたいから」と思えばいい。人のためだと思うから、ムカつくことも出てくるのだ。だから自分が気持ちよくなれなくなったら、止めても一向に構わないと思う。義務でやってるわけじゃないんだし。来月は今月よりも良い月であればいいな、と心から願っている。

$I Don't Care About You!そんなわけで、年度の〆の1枚に、OUTOのディスコグラフィCDを聴いている。DISORDERの影響が色濃い初期よりも、名作12インチ「正直者は馬鹿を見る」とラスト作「No Way Out」EPが好き。当時、S.O.B "Don't Be Swindle" と並んで最も良く聴いた音源でもあるわけだ。Tomさんのイラスト/ライヴのチラシなどのイメージも含め、何処かファニーな部分・・・うがいのゴロゴロ音をカエルの鳴き声に見立てて歌うたうとか・・・があるのもツボ。


名曲 "I Like Cola"
♪コーラ、コーラ、コーラっ! アイ・ライク・コ~~~ラ~~~~っ!!!!♪

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2011/03/30 / 23:19

$I Don't Care About You!引越しの時に音源を詰め込んだ段ボールを見ていたら

 BIG BOYS "The Fat Elvis" CD

が出てきたので久々にプレイ。此方は後84年位までの期音源集でLP2枚とEP1枚の計31曲収録のお徳盤CD。前期作品集 "The Skinny Elvis" CD と並んでUSHC好きであれば是非持っていたい音源。

因みに彼らの音を初めて聴いたのは80年代後半だったと思う。名盤"Frat Cars" 7'EP のブートだった。「テキサスHCの伝説!」といわれるバンドだったので「きっと同郷の D.R.I を超えるようなヴァイオレントで速いバンドなのだろうな」と思いわくわくしながら針を落としてみると、「なんだこりゃぁぁぁ!」なファンク・テイストのパンクで脳味噌が腸捻転になった。

それから次第にハマりこみ、音源を彼是聞いた。速い曲もあるのだが、何処かヒネている。そしてドラムの手数の多さ、独特のリズム・パターンとベースラインがとても耳に残る。26曲目の"What's The Word?" なんて完全に P-FUNK テイストな曲だ。90年代になるとファンクやラップとハードコアを融合させた「ミクスチャー」が流行りはじめるわけだが、そんなヘボいミクスチャーなんぞより彼らのファンクとパンク/ハードコアを完全に融合させた音の方が遥かに先を行っていたわけだよな・・・と今更のように思う。

因みにVo.は見てくれの通りゲイなのだが、同郷テキサスのポリティカル・ハードコア MDC のVo.デイヴ・ディクターも同じくゲイだというのはある意味、面白い。




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2011/03/30 / 22:14

本日は、仕事お休み。

昼間は約1ヶ月ぶりに5キロ走った後、軽く筋力トレーニングをやる。流石にこれだけ長く開けると、たった5キロの道のりがキツい。MANOWAR 聴きながら走っていても、キツい時はキツいんだよ!まぁこれから仕事のサイクルも若干落ち着いて平常に戻ってくるのだろうから、そうなればまた8~10キロのペースで走れるようになるだろう。いずれにせよ、身体を動かすってのは気持ちが良いものだな、と改めて実感する。

夕刻、予てから訪問したかった北浦和の南インド料理店「サティアム」へ。駅から3キロ近く離れているので行くのも一苦労だ。席に座ると日本語の達者なホール係がメニューを広げて持ってきて開口一番

「ミールスはできない」

という。これで、今夜こんなところまでやって来た理由の8割が失われてしまった。ではサンバル・ワダとラッサムを・・・と言うと

「サンバルとラッサムが作れないからミールスが出せない。だからマサラ・ドーサも作れない。」

という。つまり、南インド系のメニューは半分くらいが作れないんじゃないか・・・。だったらHPなりなんなりにあらかじめ

「材料が入手できないため当分の間、ミールスを始めとする料理はお出しできません」

くらい断り書きを入れておくのが「気配り」ってヤツなのではないか?おまけにこの店、ただニコニコ笑いながら

「ですから、出来ないんですね。」の一点張りで一言も「申し訳ありません」と言わない。

まぁ、日本人の殆どは「カレーにナンにラッシー」レベルなのだろうし、そういった客層はサウス・インディアンなんて食べないから別に構わないと思ってるのかもしれないがな。

そんなわけで、もう帰ろうかと思ったのだがせっかくこんな辺鄙なところまで来たのだから・・・と気を取り直して

マサラ・ワダ
ヴェジタブル・パコラ
ケララ・フィッシュ・カレー
プラウ
マドラス・コーヒー

をオーダー。待つこと暫し。前菜2品到着。極々当たり前の無難な味。チャットニーも至って普通。それしか言いようのない味。続いて、プラウとカレー。でもって味は・・・美味くない。ギーが多すぎて「香り」が「臭み」になってしまっている。スパイス感も希薄。久しぶりに「はずれ」引いた気分だ。ビリヤニなんか頼まなくって本当に良かった。嫌な予感が、していたんだよ。

$I Don't Care About You!


日本米を使ったプラウは銀座の「ナイルレストラン」でも出しているが後者はもっとスパイシーだし、ごはんが口の中で解けるパラリとした食感(炒め加減)が良い感じなのだが、此方のそれは非常にくどく感じる。オイリーなもたれ系でも麹町「アジャンタ」で出しているプラウの方が遥かに具材の旨味が染みていて美味しい。

おまけにカレーもただマイルドでぎっとりしているだけ。確かにカレーリーフが入っているのは分かるのだが此方もスパイス感が希薄。だから両者を合わせて食べると非常に胃にもたれる。何とか食べきって、コーヒーを飲み、さっさと店を出る。こんな奥地まで時間と足代をかけてくるのなら、「ダクシン」か「ダバ・インディア」辺りまで出た方が遥かにいい思いができる。俺は欠食児童のごはんっ子だから基本、米が美味くない店は論外なんだよね。というわけで、再訪することは無いだろう。

そんなこんなで大宮まで戻ってくれば、鉄道博物館方面のシャトルは死ぬほど並んでいる。混み合うバスに乗るのも御免蒙りたいので、住処まで3キロ以上を歩いて帰る。歩いたら歩いたで、歩きタバコしてるクソったれ田舎オヤジが多くて本当に嫌になる。やっぱりモラルが低いよな、この辺りは。途中、松屋があったので口直しに豚丼を食す。こっちの米の方が、遥かに美味い。

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2011/03/29 / 22:51

この辺りでは外へ出ても全く面白くない。

$I Don't Care About You!昨日のように美味いタイ料理を食した後にうきうき気分でコンビニに寄るとレジの前に、BATHING APE のパンツを腰穿きにして、ポケットから風呂のゴム栓を繋いでおくようなチェーンをつけたデカいヤンキー財布を覘かせながら口をだらしなく半開きにして突っ立っている「モンモンモン」に瓜二つなヤツが居るのを見てしまうと「あ゛ぁ~~~、早く東京へ帰りたい」と大岡越前に遠島を申し付けられた罪人のような気持ちになってしまう。

そんなわけで転居して以来、本ばかり読んでいる。

$I Don't Care About You!細野善彦「異形の王権」読了。

内容は、表紙から転載すると・・・婆娑羅の風を巻き起こしつつ、聖と賎のはざまに跳梁する「異類異形」、社会と人間の奥底にひそむ力をも最大限に動員しようとする後醍醐の王権、南北朝期=大転換のさなかに噴出する〈異形〉の意味と用を探る・・・という話。

非常に面白かったのは、此処で取り上げられている「非人」と呼ばれる人々の平安~鎌倉後期の社会のおける位置づけが、

塩見鮮一郎「江戸の非人頭 車善七」

で描かれている江戸期のそれとは全く違う、という事。つまり江戸時代の「士農工商」身分制度「外」にある賤民としての差別対象である「非人」とは違い、人と神の領域の狭間に暮らす「人ならざる存在」=「神に通ずる者たち」=「天皇の隷属民」として描いているところなどは目からうろこが落ちる思いだった。

実際、本書で資料として使われている絵巻物に登場するそれらの人々は、能衣装のような煌びやかな(バサラな)着物、或いは柿色の服をまとい、帷子を着用し、白い覆面をし、手に異形の杖を持つ等の堂々とした姿で描かれている。そのような装いをすることで、人ならざる異形の存在であることをアピールしたのであろう。

そう考えると、「江戸の非人頭」において、非人はお上の御用(刑場・牢屋における役務、街のゴミ清掃等)を行うものであるから勝手に労働してはいけない。乞食をして回るのは托鉢の僧侶と同じである、と書かれていることに通じるのだな、と思う。江戸時代になると「神の=天皇の」が「お上の=幕府の」にすり替わってしまっているわけだ。つまりは江戸幕府の支配体制を維持するために身分制度を作り上げ、それを利用したという事なのだろう。

時代と共に「神に通じる異形の者」から「身分制度外の賤民」へ、つまり同一円環上の存在から明確な階層(階級)社会最底辺の存在へと変えられ、差別意識を植え付けられていく過程というものにとても興味をそそられた。

つまりは何時の時代であっても、差別を作り出そうとする人間・・・そういうものがあった方が都合がいい連中・・・というのが必ず存在する、というわけだ。現代なんか、まさにそうだろう。

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2011/03/28 / 21:04

泊まり勤務明けの月曜日。

やはり大宮は寒い。真夜中の2時と明け方4時半に目が覚めて小用へ。都心と比べると体感温度が13℃くらい違う。高いビルがあるのは無理して無理やり我武者羅に開発した駅前だけであとは低層住宅と農地しかないギャラクシス級ウルトラ・ド田舎なので風がやたらと冷たい。引っ越してきた日は余りに寒くてパーカーのフードをすっぽり被って眠った。東京ではそろそろ桜の便りも聞こえてきそうな時期だというのに何という・・・。昨年、「春になったら(琵琶湖)疏水の桜を見にこう」と言っていたのに、まさかこの時期、京都でなくこんな北方に封ぜられて居ようとはお釈迦様でも御存知なかったに違いない。

そんなわけで、やたらと美味しいゴハンが食べたい今日この頃。北浦和に南インド料理店があるとの噂を聞きつけて検索するも生憎、月曜は定休日。次の候補を探していたら近所(とはいえ1キロくらい歩く・・・鉄道博物館駅近く)に「プーケット」というタイ料理店を発見。「ディナー営業は予約制で当日1400までに電話を」などと何処かの記事に書いてあったが兎に角、行ってみよう。

店の前に着いたのが1830頃。開いている。メニューを見ながら、

ポピアトード(揚げ春巻き)
ゲーンペッ(レッドカレー)
牛肉のピリ辛ミント和え
大盛ゴハン
ココナッツジュース

をオーダー。勿論、辛さは現地仕様でお願いする。待つこと暫し。揚げ春巻き臨場。早速つまんでみる。この手によく付けられている甘ダレからして既に辛い。これは、良い予兆に違いない。

$I Don't Care About You!


続いてカレーとライス、そして牛肉和え。写真を見ると全然辛そうに見えないが、普段この手を食べなれている人でないとかなりキツいレベルではないかと思う。久しぶりに堪能する刺すような痛みを伴う独特の辛さ。これが実に堪らない。大久保「タイ・カントリー」や東新宿「ラムヤイ」、横須賀中央「タイ・エラワン」といった完全現地仕様の料理を提供してくれるお店と全く変わらない味付けに唸る。箸やスプーンの動く速さが倍になる。これは、美味しい!こういう料理やごはんを食べている時の自分は多分、すごくいい顔をしているのだろうな・・・と自画自賛しておく。

此方のお店も先日の「ミナール」同様、かなりいい感じでハマりそうな予感がする。アットホームな対応も非常に気持ちがいい。次回は麺類、いってみよう。

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2011/03/27 / 00:07

大宮に都落ちして早4日が過ぎた。未だに暗澹たる気持ちである事には変わりないが何時までも落ち込んでばかりもいられない。兎に角、気の休まるインドやタイ料理店を見つけなくては・・・と思いつつ検索をして一番近場にある大成町(鉄道博物館駅の近く)のインド料理店「ミナール」へ。

メニューを見て少々驚く。ハイダラバード・ビリヤニにマドラス・コーヒーって・・・南インド系なのか・・・でビーフカレーが数種類あるという事はムスリムの人のお店か・・・そういえば屋号のミナールはモスクにある尖塔「ミナレット」の意味だよな・・・等々考えつつ今夜の御注文は

ヴェジタブル・サモサ
チキン・マライ・ティッカ
ハイダラバード・ビリヤニ
マトン・マサラ
マドラス・コーヒー

$I Don't Care About You!


待つこと暫し。サモサ臨場。一口齧って・・・ヴェジタブルなのにこんなスパイシーなサモサは初めてだ。「辛い」のではなくて「スパイシー」。スパイスの香りがとても豊潤である。続いてティッカ、ビリヤニ、カレーがやってくる。此方の出来にも驚く。都内でもこれだけキッチリとした「ビリヤニ」を食べさせてくれるお店は滅多にない。バスマティ・ライスを使っていても「炊き込み」でなく「炒め」な店が殆どなのに此処はちゃんとサフランを加えた炊き込みでビリヤニを出している。味といいコメの解れる触感といい最高である。加えて、マトン・マサラの絶妙な味加減がまた、素晴らしい。

こんな埼玉の奥地にもこんな素晴らしいお店があるのは驚きとしか言いようがない。これでメニューにサンバルやラッサムやドーサがあれば言うことはないのだが、これだけのおいしい料理を出せてもこの辺りの客層はやはり「インドカレーとナンとラッシー」レベルなのだろう・・・と悲しくなる。

食後、オーナー・シェフのカーンさんとお話しすることができた。辛さについて大切なのはバランスで、要望があればこれ以上辛くも作れますが自分としてはこのくらいが一番美味しい適切な辛さだと思ってお出ししています、という話にはうんうん、と頷いてしまった。

物理的(物量的)な「辛さ」ではなく「スパイス感」。辛さだけが突出した不自然な味ではなく、食べているうちに汗がジワっと出てきて体内の気が活性化するような辛さが自分としては一番理想である。音楽でいえば、一小節の中にどれだけたくさんの音符を詰め込めるか、といった物理的「速さ」と曲の(演奏した時の)「スピード感」は全く別物なのと同じ。(KRISIUNとGAUZEの違い、といえば分かるか?)そしてそういう料理に出会えた日は、とても幸せな気分になる。近いうちにまた再訪しよう、と思う。

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2011/03/26 / 22:29

毎度のように「新宿中村屋・ラコンテ」でカリー・バフェを食したのち、映画「トゥルー・グリット」を見る。初一発から3回目まで全て満員御礼立見客有の盛況ぶりに驚く。元々「新宿武蔵野館」自体がキャパ80人ほどの小劇場なのだが現在公開中の「英国王のスピーチ」にしろ本作にしろ「アカデミー賞○部門受賞!」になると急に人が群がってくる風潮は本当に鬱陶しい。

$I Don't Care About You!そんなわけで「トゥルー・グリット」。

先日、原作を読了した時の日記は此方。ルースター・コグバーンとマッティ・ロスがクィンシーとムーンの小屋を見下ろす岩場でラッキー・ネッド・ペッパー一味を待ち伏せる件が少し変わっている他はほぼ原作通りに映像化されておりひと安心。

コグバーン(ジェフ・ブリッジズ)、ラ・ビーフ(マット・デイモン)に一歩も引けを取らない存在感を示すマッティ・ロス(ヘイリー・スタインフェルド)の芯の強さ、カッコよさも堪らない魅力である。

加えて映像美も秀逸で特にラスト、毒蛇に噛まれたマッティを後ろに乗せ昼夜を分かたず馬を駆り、馬が疲弊して倒れるやマッティを抱いたまま走るコグバーンの前に広がる荒野、そして頭上に広がる星空はとてつもなく美しく涙が出そうになった。あとジェフ・ブリッジズが喋っている言葉のリズムが耳にとても心地よかったのは・・・何故なんだ?

いずれにせよ、見に行って本当に良かったと思える会心の一作。まぁ元々ウェスタンを始めとした「男気映画」が大好きだからハマるのは当然と言えば当然の結果なのだが。



因みに本作に関する映画評で

「コーエン兄弟らしい云々・・・」

というものが散見されるのだがちゃんちゃら可笑しい。キチンと原作を読めば初っ端の絞首刑の場面からセリフ回しに至るまで原作をほとんど変えていないことがわかるだろう。どうせそういう輩は「ノー・カントリー」にしてもコーマック・マッカーシーの原作は読んでいないのだろうが、その手の浅い連中に限って映画通を気取ってたりするから始末が悪い。

文句ついでに「映画.com」に掲載されていた以下の記事

「コグバーンは元泥棒で大酒飲みの自堕落な男で、彼を信用できないマッティはコグバーンに同行して犯人を追うことになる。」

かつて盗人もしたことがあって、大酒飲みなのは旅の途中にわかる事である。そしてマッティがコグバーンと行動を共にするのは「彼を信用できないから」ではない「自分の手で父親の仇をうちたいから」だ。加えて「自堕落」なんてのは全く出てこない。

どうせ送られてきた資料だけを読んでいい加減な想像で書いたのだろうが、レコード会社から送られてきた資料と1曲2曲だけのアドヴァンス音源だけでアルバム全体のレヴューを書く音楽ライター(業界ゴロ)同様、いい加減な仕事をするんじゃない。

最後に・・・マッティ・ロス役のヘイリー・スタインフェルド、鼻の穴が若干デカいのが難点だが目から鼻筋、そして人柱を経て上唇に至るラインがとても綺麗でフェティッシュ・ガイガーカウンター反応しまくり。いつも半開き気味の肉厚な唇も含め結構いい線、行ってる。

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2011/03/26 / 00:06

$I Don't Care About You!2枚目のアルバム "Wiped Out" の頃からRAVEN が大好きである。尤も"Glow" "Architect Of Fear" というとても、とても、とってもつまらない作品もあったが基本的には現在までずっとフォローしているバンドの一つである。

そんなわけで今夜は "Raw Tracks"CD を聴いている。別ヴァージョン、ライヴ・ヴァージョン等寄せ集めの音源集。こうやって纏めて聞いてみると、先述の「つまらない」アルバム収録曲が「意外といいじゃないか!」と思えてくるから不思議だ。個人的には "Don't Need your Money" "On And On" のライヴテイクがとても気に入っている。



あと、"Into The Vault" V.A. 収録 "Take It Away" のライヴ・テイクが入っていれば言う事なかったんだけどね。



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2011/03/25 / 22:25

$I Don't Care About You!先日、新宿紀伊国屋で面陳されていて何気なく手に取ってしまった、

ジャック・ケッチャム「オフーズン」

仕事の合間の数時間で読了。

「テラー」と「ホラー」の違いとは何だろう・・・と考えた場合、それは前者は純然たる「恐怖」だが後者は「生理的嫌悪感を伴う恐怖」という事だろう。そういう点でいえば本書はまさに「ホラー小説」以外の何者でもない作品である。NECROPHAGIA のPVなんかが大好きな人であれば間違いなくハマるであろう一作。

話は至極単純である。アメリカはメイン州にある避暑地。9月になり避暑客もまばらになったその土地にNYから6人の男女がやってくる。全員が到着したまさにその夜、土地に住む「食人族」が彼らに襲い掛かる。果たして彼らは生き残る事が出来るのか・・・というお馴染みの筋書き。最初に殺されるのは別荘でヤリまくっていたカップルだというのも「お約束」。此処で「どうして現代のアメリカに食人族なんかが?!」と突っ込むのは野暮。「あー、そういうのが居るんだな」と割り切れない人は初手からこの手の本など読んではいけない。

$I Don't Care About You!しかし時の流れというのは残酷なものだ。本書の初版は1980年。当時は余りにも過激な暴力・残酷描写のため修正や削除を余儀なくされたためカルト化していた、と言われる本書だが30年後の今ではその衝撃はかなり薄口になってしまってたと言わざるを得ない。

何故なら、

「藤沢・悪魔祓い殺人事件」

「北九州一家監禁殺人事件」


といった凶悪犯罪の方が「食人族」や「ゾンビ」といったホラー映画(ゴア・フリックス)以上に生理的嫌悪感を催させると共に、それらが紛れもない「現実」であった事だろう。「真実は作り事よりも奇なり」を地でいっている。

そんなわけで、ユルい週末の時間つぶしにはなりましたね・・・という一冊。しかし改めて考えてみると「ホラー小説を読んで本当に怖かった」というのは中学生の頃、台風が関東地方を直撃した夜中にラヴクラフト「闇をさまようもの」を読んでいて、輝くトラペゾヘドロンによって召喚された「闇を彷徨うもの」=ナイアーラトホテップ(?)の姿を見てしまったロバート・ブレイクが死ぬ場面で突然停電した時くらいなものだな。

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2011/03/24 / 22:34

$I Don't Care About You!此処数日間読み進めていた、

チャールズ・ポーティス「トゥルー・グリット」

読了。ジェフ・ブリッジスとマット・デイモンの主演で公開されている同名映画の原作小説である・・・が、映画はまだ見ていない。

因みにこの小説は過去に1度、ジョン・ウェインを主役に据え「勇気ある追跡」のタイトルで映画化されている。此方は大学生の頃にビデオで見てはいるのだが、

"I mean to kill you in 1 minute!"

のセリフ以外は何も覚えていないので純粋に小説のみの感想。

話の内容は・・・

父親を射殺された14歳の少女、マッティ・ロスは被疑者のトム・チェイニーに復讐するため、連邦保安官のルースター・コグバーン、テキサス・レンジャーのラブーフと共に仇を追うが被疑者はラッキー・ネッド・ペッパー率いる強盗団に合流しインディアン、チョクトー族の居留地に逃げ込んでいた。多勢に無勢の状況下、マッティは父親の仇をうてるのか

・・・という粗筋。

単純明快で何のひねりなければ裏読みの必要性もないウェスタン(西部)小説である。復讐を誓った少女を助ける隻眼の保安官、冷酷非道な強盗団、疾走する馬、1対4のガンアクション、胸を打つエンディング・・・という「お膳立て」も整っている。その中にあって、父が買った馬を業者に買い戻させて資金を作り、その金で渋るコグバーンを説き伏せて復讐行に駆り出し、事あるごとに対立するコグバーンとラブーフの間に入り、そして遂には復讐を遂げてしまうマッティの行動力には目を見張る。其処から感じ取れるのは、「自分のするべきことを成し遂げるための信念」である。

マッティばかりでなく、コグバーンにしろラブーフにしろ「法の代理人」つまり正義の側に立ってはいるがその行動規範を司るのは「己の意志」である。誰かの言いなりにはならない。その代り利害が一致すれば、また信頼関係が生まれれば全力を尽くすという常に「独立独歩」の姿勢と強さに惹きつけられる。

とどのつまり、男も女も善人も悪人も立場は同じであり、その指針が微妙に正に傾いているか邪に傾いているか、に過ぎないのかもしれない。だから人々は保安官同様、ヤンガー、ジェームズ兄弟のようなアウトローにも憧れを抱く。池波正太郎が「仕掛人・藤枝梅安」シリーズにおいて「人は良い事をしつつ悪いことをし、悪いことをしつつ良い事をする」と書いているのと同じ。大切なのは、自分の行動に責任を持てるか・・・いや、腹を括れるか、という一点に集約されるのだと思う。

タイトルにある「グリット」の意味は Oxford American Dictionary によれば "courage & endurance"(勇気と忍耐)とある。日本の英和辞典で訳されている「根性」とはニュアンスが違う。行き過ぎた勇気は時に、無謀な行動となる。忍耐すること、自分を律することができるからこそ、生き残っていける。この言葉、勇気よりも忍耐の方に重きが置かれているような気がしてならないのは俺だけだろうか。だからこそ本書は1968年の出版以来、アメリカで愛され、読み継がれているのかもしれない。

尤もそれと同時進行で、派手なアクションや「犯罪者は自分の手で裁く」という部分はマイク・ハマーのようなタフガイ探偵、そして死刑執行人マック・ボランを始めとする「ヒーローペーパーバック」やチャールズ・ブロンソンの「デス・ウィッシュ」等の自警団もの、そしてアメコミ「ザ・パニッシャー」に至る現代まで連綿と受け継がれているのだが。

そんなこんなで仕事が一段落したら是非、映画も見てみたいものだ。以下、予告編。ジェフ・ブリッジズ、カッコいいねぇ!

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